さて、無事に年が明けて2019年。
今年の年越しは紅白歌合戦を途中まで観てから、地元のお寺に除夜の鐘を撞きに行ってきた。
今書きながら思ったのだが、「撞く」って漢字はほとんど鐘にしか使わないってのは凄い。
金偏に鐘で、手偏で撞だ。また、搗くってのもおもにもち米にしか使わない。限定的過ぎる。
用途が限定されたプロフェッショナルな道具みたいでなんだかかっこいい。
さて、寺に到着。
11時半くらいからぞろぞろと人が集まっていきて、町内会のおじさんが整理券のような番号の入った木札を配っている。
ぼくと奥さんで25番と26番目。除夜の鐘は108つの煩悩をなくすという意味だそうだが、25番目と26番目に該当する煩悩は何だろう。この町内の皆様の25番目26番目の煩悩はぼくらの鐘の音によって打ち消されるのだ。そう思うとなんだか楽しい。
そう思って「煩悩」で検索すると、「煩悩 108 内訳」でGoogle先生にサジェストされる。お寺さんのありがたい法話よりも検索である。
除夜の鐘に並んでいると年が明ける。自分のが撞く鐘の音が町内に響き渡ると思うとなんだか背筋が伸びる。鐘の前で一礼し、2019年が良い年となるよう願いを込めて撞く。勢いよく撞く人もいれば軽く撞く人もいる。みな等しく冬の澄んだ空気を震わせて響いていた。
お寺でふるまわれていた甘酒をもらい、その勢いのまま近所の神社へ。小さな神社でいつもはひっそりと静まり返って誰もいないが、さすがに年明けのタイミングなので地元の人が列をなしてお参りしていた。横浜郊外の小さな街の小さな神社で一年で一番盛り上がっているのかもしれない。
無事初詣を終えて帰宅。夕方からずっと飲んでいて疲れたのでそのまま就寝。
早朝に起床して初日の出を見に行くようなバイタリティはなかったので、自宅の東向きの寝室の窓のカーテンを全開にして、朝、勝手に初日の出を浴びるシステムを採用。
気持ち良く晴れた朝の日差しで目覚める。アイデアの勝利である。
奥さんの実家には2日にご挨拶に行く予定にしていたし、親戚には年末の旅行で会っているので、1日は何もやることがない。奥さんと横浜に映画を見に行く。
最近SNSで話題になっていた、クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞。
僕がものごころついた頃にはすでに他界しており、特に洋楽のロックにも熱狂していたわけではなかったので正直思い入れのあるミュージシャンというわけではなかった。
それよりも、短髪口ヒゲでタンクトップの変なおじさんといった印象たったのたが、映画を観てみると印象は一変した。
伝説のロックスター、フレディ・マーキュリーのカリスマ性、観客を巻き込むパフォーマンス、自身のセクシュアリティに悩み続けた1人の人間の苦悩が伝わってきて鳥肌が立った。
特に最後10分のステージは何故か分からず涙が止まらなかった。映画が終わってもクイーンの歌が鳴り止まない。凄い。
正月っぽくは無いが、新年早々いい刺激を受けることができて良かった。帰宅してamazonミュージックでクイーンの曲を流しながら晩飯の準備をする。
お刺身と雑煮、おせち料理。ウィーアーザチャンピオン。