太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

僕は二郎を食べたことがない。

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僕は二郎のラーメン(もしくは”二郎”という概念で作られた食物)をこれまで一度も食べたことがない。

 

ラーメン二郎といえば、三田本店から連綿と続くのれん分けの歴史を有し、「二郎系」「ジロリアン「コール」「マシマシ」といった独自の食文化を形成する有名ラーメン店である。その大量に盛られた野菜や「ブタ」と呼ばれる巨大な肉、うどんのようだとも称される歯ごたえのある大量の太麺、「カエシ」と呼ばれる醤油のきいた塩辛いスープなど、食べたことの無い自分であってもすらすらと書けるくらいには有名なものだ。

 

凄い量で相当な覚悟が無いと食べきれないという話や、食っているうちに後悔してくるが、怖いもの見たさで何度か行くうちに禁断症状が出てくるくらいまでハマッてしまうという噂、独自の呪文のような注文ルール、長蛇の列などで敷居の高さを感じてしまい、なんとなく30歳近くまで未訪のまま来てしまった。そうこうしているうちに、29歳からダイエットを開始し、食事制限を続けているうちに食が細くなっていき 、タイミングを逸して今に至る。

 

二郎ラーメンといえばその盛り加減や無骨な見た目から、大食い志向でなくとも、男らしい食事の登竜門的な位置づけにあるように思う。僕も大学時代は体育会の部活をやっていたので理解できるが、三田にある某KO大学出身者からすると、まさにソウルフードとして愛してやまないラーメンであり、先輩が後輩を引き連れて大食いの洗礼を浴びせる場だそうだ。
僕は別にKO大出身でも何でもないのだが、そういった通過儀礼的なものを逸したままここまで来てしまったというのは、なんとなくさびしいというか、もったいないというか、そんな気がしないでもない。

 

インターネットの世界では、その見た目やコアなファンがいることによる話題性から、ラーメン二郎や二郎インスパイア系と呼ばれるラーメン店の情報がたびたび拡散されている。僕はインスパイア系と呼ばれる店には何度か行ったので味もだいたいは想像できるのだが、本物を知らない二郎童貞として、暴力的なカロリーを崇拝するある種のマッチョイズムを感じて、どこか恥ずかしいような感情を抱きつつ記事を読んだりしているのだ。
そして童貞のままライフスタイルが変化して機会が減っていく。二郎適齢期を越えてしまったのだ。そこに一抹の寂しさはあるものの、ラーメン自体を食べたいと思うことが飲酒後以外ほとんど無いため、おそらく今二郎を食べたとしてもダメージを受けて終わってしまうことが容易に想像できる。だから多分今後も童貞のまま食べないのだろう。 

 

おそらく、世の中にはそういった「やらないまま適齢期を越えてしまって機会を逸していること」が大量にあるのだろう。人によってはそれがスケートやスキーなのかもしれないし、自動車やバイクの運転なのかもしれないし、合コンかもしれないし、ラーメン二郎なのかもしれない。何歳だってチャレンジできるが、童貞のままある程度の年齢になってしまうと、そのまま一生いってしまいそうだ。

 

「何歳だったってチャレンジできる」というのは正論だが、別にチャレンジするのが偉いわけでもないし、チャレンジできずに困っているわけでもないのだ。ただそんなことって多いなと思っただけである。

 

だからどうだという文章だが、なんとなく思いついたので書いてみた。

 

また、別の理由で僕はガレットを食べたことが無い。34歳まで食べなかったので、もしかしたらこのまま一生食べないのかもしれない。ガレットってそんなに積極的に食べますか?

 

 

※冒頭の写真はラーメン二郎とは全く関係なく、奥さんが拵えたいなりずしです。炭水化物、たんぱく質、脂質で構成されており、醤油で味付けされているという点ではラーメン二郎と同じです。

 

 

 

※後日追記※

この記事を書いた半年後、歌舞伎町のお店にて童貞卒業しました。先輩に連れていかれて卒業だなんて大学生みたいですね。

 

laughunderthesun.hatenablog.com