何もなしにぼんやりする事が苦手だ。
先日、春とは思えないほどの冷え込みで、残業を終えて22時ごろに帰宅したのだが、すっかり身体が冷えてしまった。寒い寒い。
奥さんにゆっくり風呂でも入ったらと言われたので、風呂に浸かりながら何か本でも読むかと本棚を漁っていたら、何やってるのと笑われてしまった。
僕からすると、何も無い風呂場でただぼんやりと湯に浸かっているというのがどうにも苦手なのだ。だって熱くて暇である。ゆっくり温まりたい時は食に関するエッセイなどの軽めの文庫本とタオルを持って、汗をかくまで読書するようにしている。
奥さんからするとそれは少し変だと。風呂こそがもっともぼんやりしやすい場所であり、何も考えずに存分にぼんやりしたらよいではないか、何故ぼんやりしないのか?この人はちょっと変なのではないか?という感じのようだ。
うちの奥さんはよくぼんやりしている。ぼんやりするのが好きらしい。電車に乗ったらぼんやり外を眺めているし、家でもテレビをつけずにソファーに座ってぼんやりしている。ぼんやりするのがとても上手い。
対して僕はぼんやりすることが苦手である。移動時間はスマホかタブレットか文庫本か音楽が無いと落ち着かない。情報について貧乏性なのかもしれない。風呂の5分間でもぼんやりできない。スーパー銭湯はなんとかなる。広いし人もたくさんいるし、なんとか気が紛れる。なにより、いざリラックスするのだとの心づもりの上で入湯している。
僕は貧乏性なのか、何かをしながらでないとぼんやり出来ない。料理や車の運転、散歩などは、ぼんやりしながらも何かが進んでいる。最高ではないか。
もしくは、海辺、とか良い景色、とか片手にビールとか環境を揃えていれば存分にぼんやりする所存である。
環境に依存するとはまだまだぼんやり力が足りないようだ。生活の中に無意識にぼんやりが入り込むようにならないと真のリラックスは訪れないのかもしれない。なんだか禅の世界みたいだな。