太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

【映画評】『天気の子』を観てモヤモヤする。

前回の記事の冒頭でも記載したが、みなとみらいのホテルに宿泊する前に時間があったので、奥さんと『天気の子』を観賞してきた。

 

※多少ネタバレはするので、未鑑賞の方はお控え下さい。

 

この映画、公開後からかなり話題になっており、ちょうど昨日、興行収入100億円を突破したらしい。

 

www.oricon.co.jp

 

つい先日、はてなブログの公式でも、はてなブロガーによる考察をまとめた記事が出ていたのだが、皆様本当に深く作品を理解されていて恐れ入る。作品への愛、製作者への敬意がにじみ出ている素晴らしい映画評ばかりである。

 

過去作品との関連やアニメ映画を越えた作品性、メッセージなどを理解することもなく、ぽけーっと見ていた自分を深く恥じ入った次第である。

 

blog.hatenablog.com

 

皆様方の映画評を拝見するに、非常にメッセージ性の強い、すばらしい作品だ、日本アニメ映画史に残る映画だと絶賛されている方が多い。

絶賛まではいかない方も、監督が強烈なメッセージを突きつけた意欲作ではないかと、おおむね好評の意見を書かれている。

 

興行収入も順調に伸びており、その結果この映画不況の中で700万人以上が観賞するという実績にも繋がっているのだろう。

 

 

しかし、だ。

 

 

僕はどうにも楽しめなかったというか、
皆がそこまで絶賛するほど作品に入り込めなかったのだ。
鑑賞後にモヤモヤが残ったまま映画館を後にすることになった。

 

 

もちろん、新海誠作品ならではの空の色の表現や、日の光をプリズムのように現す独特の表現方法、『君の名は。』でも多様されていた視点が大きく動くようなカット割りというか空間表現というか、、そのあたりの画の美しさというものは間違いなく凄い。監督の才能だと思う。

 

そして、物語のドラマの流れの中にRADWIMPSのエモい曲を乗せて観客の感情を揺さぶっていく演出も上手い。個人的にRADWIMPSがそこまで大好き!というわけではないのですが、前作の『君の名は。』ではこの音楽ありきでぐいぐい引き込まれたというのは間違いなくある。

 

その2点で、映画館の大きなスクリーンと音響の中で鑑賞すると、「ほへぇ~すごいもんですなぁ」と口をあけて感心することしきりであった。

 

 

ただ、あまりにストーリーが強引というか、細かいところは無視というか、その結果それでよいのか?というモヤモヤが消えないのだ。

 

 

例えば、

・主人公が生まれ故郷である神津島から唐突に家出して東京に向かった深い理由や背景も説明されない

・あえて理由を伝えないとしても、そうした行動を取るような主人公の感情の揺らぎや衝動などが特にない

・新宿のネットカフェを根城に東京での家出生活をスタートさせるのだが、街の様子や店舗の看板、ちらちら出てくるビールやお菓子などが具体的すぎて逆にスポンサー重視か?と醒める

・ヒロインの母親が亡くなったそうだが、その後なぜ小学生の弟と二人で暮らしていたのかが謎だし背景も説明されない。年齢詐称までして働いていた意味がよくわからない

・あまりに都合よく銃が出てきて、発射されて消えて、また最後に都合よく出てくる謎

・ヒロインが消えてしまった後、主人公が警察署を脱走して助けにいくのだが、弱気で頼りなかった主人公の心の成長の結果ではなく、ただ衝動に突き動かされているように感じた

・廃ビルの祠に行けばヒロインを助けだせるという理由が特に説明されず、そしてなんだかんだで空に昇って奇跡的に出会い、救ってしまう謎

 

そして最後にあの結末。

 

インタビュー等を読むに、おそらく監督としては、これまでのファンタジー物にありがちな結末に疑問を呈して、少年少女の想いを貫き通した故の新たな結末を描きたかったのだろう。

 

「ヒロインか主人公が犠牲になり、世界は救われた」もしくは「ヒロインも世界も奇跡的に救うことができた」というテンプレ的結末に対して、新たに「ヒロインを救うことで世界は救われなかった、しかし救われない中で生活は続いていくし、主人公とヒロインにとっては必然だった」という新たな結末を選んだわけだ。若さゆえのエゴや世の中の間違った仕組みをそのまま肯定して結末にしてしまったのだ。

 

もしそうなのだとしたら、救われなかった世界なりの悲しみや主人公の葛藤をもっと描くべきだし、数年後にあっさりとヒロインと再会して、皆の生活に実害は特にないし「大丈夫」は無いんじゃないかと思うのだ。

 

 

そのあたりがなんともモヤモヤしてしまったのだ。

 

 

 

また、余談なのだが、中学生高校生の男子を主人公としたアニメ作品の場合、主人公はまじめでまっすぐなんだけどちょっと奥手で弱気、ヒロインはしっかりしていて芯の強い女性というテンプレートは何なのだろうか。そこにみな自分を投影したいのだろうか。そのほうが演出上自由にコントロールしやすいのだろうか。

 

本来誰しもが持っているグレーな部分や汚い部分、虚栄心や猜疑心、微妙な心のゆらぎのようなものが抜け落ちているような気がするのだ。主人公とヒロインはあくまでもクリーンで純粋でなければいけないらしい。

 

そこにおじさんは心情を投影出来ないのだ。

 

僕が35歳のおじさんだからだろうか。
青春の燃え上がる魂が鎮火してしまったからだろうか。
僕の両の眼がすりガラスのように曇りまくっているからだろうか。

 

映画としては楽しかったし、テンポも良く退屈せずに観れたのだが、なんとも疑問の残る内容であった。

 

僕がそのようにモヤモヤしつつ、他の方の映画評をチェックしていると、まさに!というレビューを書かれていた方がいたので、ちょっと紹介。かなり辛辣。ただ納得できる。

 

nuryouguda.hatenablog.com

 

僕もこういったユーモアを交えつつの論評が出来るようになりたいものである。