太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

風呂の法則。

世の中には面倒な事が多い。

しかし、面倒な事が問題というよりも、「面倒だなぁと思う事」が問題な事も多いのではないかと思っている。

 

朝ベッドから起き上がるのも面倒で、顔を洗うのも面倒で、歯を磨くのも面倒で、着替えるのも面倒な時もある。そんな時は出かけるのなんてものすごく面倒だ。

 

ただ、それぞれの動きが面倒というよりは、それぞれの所作は生活に必要なムーブなのだ。どう思おうと必要なムーブなのである。なので問題なのはそれぞれのムーブを面倒だと思う自分自身なのだ。

 

別に哲学的な話をしたいわけではないし、たとえばなんらかの疾患や精神的な傾向で行動する気力が湧いてこないようなかたを非難したいわけでもない。

 

かつ、世の中には誰がどう思おうと、どう感じようと、ただひたすらに面倒なことがらというものも存在しているのも事実。引越しにまつわるいろんな手続きであるとか、職場の接待の幹事であるとか、こじれた親族同士の揉め事であるとか。それらは気の持ちようでどうにかなるレベルは超えている。

 

 

ただ、気の持ちようで改善する事も多少なりともあると信じたい。

 

ぼくは、この雑文を読んでいただいてる人はなんとなく想像が付くかと思うが、比較的休日もアクティブに活動する事が多い。家でのんびりしているよりは、あては無くとも外出してぶらぶら散歩していた方がリラックスできる。

 

それでも、ひとりの休日などは面倒を理由に動き出せず時間を浪費する事が多い。ベッドから起き上がるのも面倒だし、外出するのも料理するのも面倒だなぁと感じて、ひとしきりダラダラしてから動き出す事が多い。

 

そんな時に、ぼくはある法則を唱える。

「風呂の法則」だ。

 

風呂というのはなかなかに面倒なものである。

風呂を洗ってお湯を張り、着替えを用意していざ入るのだが、その踏ん切りが付かずにダラダラとテレビを見ていたり、スマホをいじっている人はかなり多いのではなかろうか。

 

ただ、不思議なことに、風呂に入ってから「ああやっぱり面倒でしょうがない」とか「風呂に入って時間を無駄にした」「入らずにスマホをいじっておけば良かった」などと思う人はほとんどいないのだ。いないと思う。いないよね? 多分そんなにはいない。

 

風呂は入る前は面倒なのに、入ったら絶対後悔しないのだ。

 

このように、ほとんどの日常のムーブや、家事をやるか否か、出かけるか否かの決断などは、やった後にほとんど後悔することはない。逆に楽しかったり気持ち良かったりスッキリしたり達成感を得たりと、メリットの方が大きいのだ。

 

だからなんだと言われてもしょうがないが、ぼくは日常のムーブで面倒だなぁと感じた時は、これは風呂の法則だ、やったら必ずスッキリすると思って動き出すようにしている。たまには負けるが、勝てると気持ち良い。

 

そんなはなし。