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【映画評】いまさら映画『JOKER』を観て板子一枚下は地獄だと再認識。

昨日月曜日のはなし。
有給でお休みを頂いていたので朝から映画『JOKER』を観てきた。

 

JR桜木町駅横の横浜ブルク13で朝9時の会である。平日の朝一番の会なので、他に5人くらいしか観客はおらず。いい感じに作品に没頭できた。

 

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公開から一月以上が経ち、レビューも出しつくしたようなタイミングなのでいまさらネタバレもないかと思うが、一応その旨も記載した上で感想を書く。

 

ちなみに僕は、話題だということ意外にほとんど情報を入れず、レビュー等も一切見ない状態で観てきた。

 

僕は正直、これまでマーベルやDCなどのアメコミ映画をほとんど観ない人生を送ってきたので、バットマンの悪役の誕生譚ということすら知らずに映画館に向かったのだった。その結果、鑑賞中に「ゴッサムシティ」ってアメコミに出てきた街と同じ名前じゃね?などとアホな感想を抱いたりもしていた。

 

余談だが、アメコミ映画ってちょっと多すぎやしないか。10年くらい前からマーベル映画が話題になってきて、興味を持ち始めた段階ですでに5作品10作品と映画化されていた。どこからチェックしようかなどと思っていたら次々と関連作品が増えていき、どんどん取っつきづらくなったまま、ここまで来てしまったのだ。

 

正直、そんな食わず嫌いの映画は多い。おそらくこれまで250本くらいは観ており、そこそこ映画好きではあるのだが、スターウォーズシリーズ、マーベルシリーズ、DCコミックスシリーズ、スタートレックシリーズ、ハリーポッターシリーズ、ロードオブザリングシリーズなどは観たことがない。どっかでチャレンジしないといけない。

 

 

さて、ジョーカーである。

 

賛否両論あるが、僕は賛も賛。映画体験としてはかなり良いものだったと思う。

アメリカでは暴動の原因になり得るため警察や軍隊が映画館を警備したりとなにやらキナ臭い状況で物議を醸しているらしいが、それが善かれ悪しかれ人の心を動かす映画としての力、物語としての力ではないかと思っている。

ただ、僕はこの映画を観て、暴動を起こしたくなるというよりは、単純に恐ろしいなと思ったのだ。

 

 

道化師派遣の仕事をやり、老いて精神的にも不安定な母親と同居し、突然笑い出してしまう障害を抱えている40代後半から50代くらいの主人公。

 

不器用で空気が読めず、他人とズレた不気味なコミュニケーションしか取れない哀しいおじさんである。長身痩躯の身体をぎこちなく揺らしながら歩き、神経症的にひっきりなしにタバコを吸い、貧乏ゆすりをしながらポツリポツリとしか話さない。そんなある種不幸な境遇の人物だが、完全に腐っているわけではない。老いた母親を介護し、ピエロのアルバイトは真面目にやっている。目の前の見知らぬ子供を楽しませようと変顔をすることだってある。そしていつかコメディアンとしての自分にスポットライトが当たることを夢見て、全く面白くもないジョークをボロボロのノートに書き連ねている。

 

そんな人物がいくつかの不幸な出来事に巻き込まれ、発作的に最悪の行動に出てしまったことで、これまでの負の感情を爆発させるように悪人として覚醒していく。そんな物語だ。

 

ただ、そういった境遇の人っていくらでもいると思うのだ。40代50代で夢を半端に追いかけて定職にもつかず、ずっと独身で過ごしているうちに社会とのつながりを少しずつ失っていき、社会に対しての恨みつらみを抱えているうちにそれがだんだんと腐臭を放つようになっていき、正しいコミュニケーションが取れなくなってしまった人や、何かをきっかけにして道を踏み外してしまうような人。僕だって何かのボタンの掛け違いでそんな境遇となっていてもおかしくないし、今はそこそこ幸せな暮らしをさせてもらっているが、今後そんな境遇に転落しないとも限らない。

 

この映画を見ながら、不器用にも道を踏み外していく可能性を誰しもが秘めているという怖さを改めて感じた。常に、板子一枚下は地獄なのだ。幸せに暮らしていても、配偶者と子供の乗った自転車に老人の運転する暴走自動車が突撃してくるかもしれない。何かの犯罪に巻き込まれてしまうかもしれない。不運が続いてかっとなって誰かを殺めてしまうかもしれない。会社の倒産と離婚と病気などが一気に続いてしまうかもしれない。

 

そしてこの映画は怖いが美しい。骸骨のように痩せた身体を不器用に揺らしながら背中を丸めて歩いていた不幸な中年男性が、圧倒的な暴力に目覚めた瞬間、まるでコンテンポラリーダンスのようにエネルギッシュにしなやかにその長い手足をいっぱいに使って踊りだすのだ。虐げられていた男が悪に転落していく話なのだが、それが圧倒的なカタルシスとして美しく描かれている。

みじめな男よ狂って踊れ。

 

監督も影響を受けたと公言していたが、はみだし者の鬱屈した感情が狂気として爆発する作品。マーティン・スコセッシの『TAXI DRIVER』そのものではないか。だがタクシードライバーはまだ若者だ。ベトナム戦争の帰還兵ということもあった。この主人公アーサーは不運な境遇のみじめなおじさんである。そこがまた不気味である。タクシードライバーの主人公トラビスが蓄積してきた負の感情よりもはるかに鬱屈し、悪い意味で熟成され、後戻りのできない事態に突き進んでいく。

 

狂った男はストが続く都市の鬱屈した負の感情の起爆剤となり、知らずのうちに大きなムーブメントを起こす。そしてメディアという増幅装置が男の凶行を広め、悪のカリスマとして祭り上げられる。負の感情がガスのように吹き溜まっている中では、きっかけさえあれば暴動は起こりえるのだ。なんて映画だ。

 

そしてそれだけでは終わらない。最後のシーンでは何故か逮捕されて病院に収容された主人公がカウンセラーに語る場面となる。僕らが見ていた凶行は事実だったのか。はたして空想だったのか。謎を残したまま物語は終わる。見事である。

 

映画としての完成度は異常に高い。リアルタイムで映画館で観てよかった作品だ。