太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

「書き残そう、あなたの人生の物語」。

先週通知がきていたが、この雑文ブログを立ち上げて1年が経ったらしい。
その際にはてな運営より送られてきたメールに以下の一文があった。

 

===========

「書き残そう、あなたの人生の物語
はてなブログを、これからも、どうぞご利用ください。

 ===========

 

なんだか良い言葉ではないか。

たいそうな人生でもないし、特筆すべき物語があるわけでもない僕にとってこのブログはただの雑文集となっているのだが、それが生活であり人生なのだとたまに思ったりする。

 

4年ほど前の1月。恵比寿の文具屋で小さなノートと1000円の万年筆を買って頭に浮かんだことを書き留め始めた。

 

何も変わらずただ生活が流れていくことに嫌になったのか、それとも何かが変わっている中で何も感じていない自分に恐れを抱いたのか、あるいは何かが変わって何かを感じているが、その記憶が日常の中に消えていって何も残っていないことに気づいたからかもしれない。

 

相変わらず日常の中で様々な感情や記憶が生まれては消えているのだが、週に数回、そのノートを開いてペンを走らせることで、その中でもほんの少しだけは残せるようになった。少しだけはまともな考えを積み重ねられるようになった。それから僕は一人の女性と出会って結婚した。何も変わらなかった世の中が少しだけ動き出した。

 

 

 2018年の12月。今から一年前だ。

その数か月前、ある悲しい出来事があり、そこから少しずつ立ち直ろうとしていた時期だ。喫茶店で一人ノートを開くのも良いが、アウトプットのリハビリも兼ねて、ほんの少しだけパブリックな場を作ってみるのも良いかもしれないとこのブログを立ち上げた。

そこから1年で130本ほどの文章を書いてみて、何か変わったのか。特に何も変わっていない。ただ、リハビリとしては多少効果があるのでは?と思ったりもする。また、多忙な仕事で気持ちがクサクサしている帰りの電車でインプットをしたくない際など、音楽を聴きながら適当な文章をフリック入力するのは気晴らしになったりもする。

 

この1年間で、奥さんの妊娠がわかり、我が家に小さな仲間が増えた。何も変わらないように思えた生活がごいんごいんと音を立てて回転している。その回転の中で、何を食って美味かっただのどこへ行って楽しかっただの、気を抜くと忘れてしまいそうな小さな小さな出来事がある。そのディティールが大事なのかもしれない。

 

「書き残そう、あなたの人生の物語

この言葉をみて、そんなことを考えてみた。

 

 

f:id:showgo0818:20191215103717j:image