太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

マイナスの献立と自己責任。

平日の昼はおもに弁当を持参している。

弁当のために料理をすることはほとんどなく、休日や平日に作り置きをしておき、前の晩か当日の朝にささっと弁当箱に詰めて、冷凍ご飯を解凍しておにぎりにして持っていく。だいたい5分くらいで完了する。普段は奥さんが詰めてくれることが多いが、最近は子育てがあるため、ぼくが前日夜に皿浅いをするついでに詰めている。いつの間にか弁当男子になっている。

 

休日にご飯を作る際に、弁当用に作り置きにできそうな料理を追加で2品か3品くらい作るのだが、その際に、冷蔵庫の中身やスーパーで安かったものから考えることが多い。そこでふと思ったのだが、献立を考えるときは、プラスの要素で作る献立と、マイナスの要素で作る献立があるような気がする。

 

・久しぶりにあの料理を食べたいな
・奥さんが疲れているので、好きな料理を作ってあげよう
・今日は寒いから鍋にしようか
・旬の野菜が安くなってきたからこの料理を作ろう
⇒これらは、何かプラスの感情を持って献立を考えている。好きな食べ物、新鮮な食材、誰かのための食卓。明るい未来。

 

ただ、献立を考える際はこういったポジティブな考えだけではない。

 

・野菜室でしなびているシシトウをそろそろ使わないと
・食材の賞味期限が切れていて、早いとこ使ってしまいたい
・今ある材料をいっぺんに消費するためには野菜炒めだな
⇒などなど、ある種在庫処理的に献立を考えることも多い。在庫処分というか、不良債権処理というか。なんとも明るくない雰囲気である。食卓に落ちる黒い陰。欺瞞に満ちた家庭。暗躍する家政婦。涙の味噌汁。

 

別に本質的にマイナスということではないし、食材を有効活用して賢く献立を作っているという点だと家計にはプラスのはずだが、いまいちテンションがあがらないというか、ポジティブな献立にならないというか、そんな感じがする。

 

ちょうど先週日曜日の献立がそんな感じで、不味くはないのだが、なんだかテンションのあがらない食卓だったのだ。「救済献立」とか「食材ありがとう献立」とかポジティブなワードで考えればよいのか。どうなのか。

 

 

 先週末の料理。

 

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ひじきの煮物。

乾燥の芽ひじきは賞味期限が2ヶ月くらいオーバー。もともと乾物なので賞味期限は長いはずなので2ヶ月は誤差である。あぶらあげは賞味期限が1週間くらいオーバーしている。

 

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こちらは半分ポジティブに作った献立。

姪っ子が幼稚園で大きな大根を掘ってきたそうで、おすそ分けいただいたのだ。そこに、冷蔵庫で1週間眠っていた人参と、買ってきた厚揚げで煮物にした。


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そして炊き込みご飯。

冷蔵庫で1週間眠って元気をなくしていたサツマイモと、賞味期限切れの厚揚げを炊き込んでみた。火を通せばOKと強く信じている。

 

賞味期限切れやしなびた食材ばかりで申し訳ないが、ぼくは動物としての勘を大事にしているので、匂いを嗅いで腐敗の気配が無ければほぼOKという考え方である(奥さんも同様であると良いなとポジティブに考えている)

 

また、本格的に腐敗する前にはその前兆のような匂いがするものだ。だいたい、軽くすっぱい匂いになるか、納豆のような微かな発酵臭がするか、ほんの少し生臭さが出るかどれかである。ただ、その段階ではまだ腐敗しきっていないので火を通せば経験上お腹を壊すことは無い。(さすがに生魚などはチャレンジしないが)

消費期限や賞味期限についても、工業製品として安全マージンが多めに取られているので、自己責任である程度長めに判断しても大丈夫であろう。

 

そんなテンションのあがらない食卓ではあるが、出来上がったらなんだかとても健康的である。(ジンギスカンはいただきものを炒めて千切りキャベツと出した)


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生活においては、こういった食卓も大事である。