年の瀬でもあることだし、真面目なことも書こうかなと思う。
あと数日で2019年が終わろうとしている。ネット界隈でもこの1年に関するまとめの記事なんかも増えてきた。そして、1年のまとめをしつつ、今の日本の状況を憂う記事もちらほら出てきている。
こういった記事を読みながら、僕もなんとなく考えていたことをちゃんと言語化しておいたほうが良いのでは?と思ったのだ。
この1~2年くらい、日本を取り巻いている不穏な雰囲気というか、未来に対する不安感のようなものが少しずつ増幅されていっているように感じている。しかし、そういった不安感を持ちながらも、皆がある種の諦念というか、見えないふりをして令和だラグビーだオリンピックだと陽気に過ごしているような違和感がずっとあるのだ。
せっかくなので、2019年末の僕が見る世の中の現状と、35歳の自分の考えを言語化しておこうと思う。
いつもふにゃふにゃしたことしか書いていないので、内容が硬いとスルーされる方が多数だと思うが、気にせずはじめます。
終わりの始まり?
つい先日のニュースだったが、2019年の出生率の推計が86万人となったそうだ。これまでの推計よりも2年早い減少ペースらしい。それに対して死亡数は137万人。すごいことである。1年で自然減が50万人超えである。日本人消え過ぎ。
50万人というと、鳥取県の人口が54万人くらいだそうで、ひとつの県が消滅するのと同じくらいのインパクトが毎年襲ってくるのと一緒だ。恐ろしい。
出生率が改善しない場合には、あと20年後、2040年の人口は1億800万人程度となるらしい。現在が1億2615万人なので、1800万人の減少である。ざっくり言うと、20年で九州全部と四国全部の人口が消える以上のインパクトである。消滅し過ぎ。
そんな中、経団連が先日発表したニュースでは、大手企業の冬のボーナスが過去最高を記録したそうだ。少なくとも東日本大震災以降、日本の大企業は業績好調な企業が多く、日経平均株価も高値を続けているため、なんとなく景気が悪くないような印象もあったりなかったりする。はて、景気はどうなのでしょうか。
というか、僕は社会人2年目でリーマンショック、その3年後に東日本大震災を経験しているため、その不安にまみれた状況からすると、はるかにマシだという印象ではある。
ただ、何度か不況を経験した大企業はトラウマになってしまったのか、内部留保を増やすばかりで全然賃金を増やしていないのが実情なのだ。内部留保ばかりで給与に反映していないため、物価を考慮した実質賃金はほとんど上がっていない(むしろ下がっていて驚く。資本主義の世の中であり得ない動きである)
そして、給料が上がらないだけではく、悲しいかな社会保険料と所得税などの税負担はどんどんと上がっている。仮に年収700万円の世帯があるとして、2002年の手取りが587万円に対して、2017年の手取りは537万円となんと50万円も減っているのだ!※
※ダイヤモンドオンライン『同じ年収でも「手取り」は15年下がり続けている』参照
はたらけどはたらけど手取りが減っていく状況に、ぢっと手を見てみるのだが何も書いていないのである。石川啄木でなくともおじさんは悲しい。
今年10月、消費税が8%から10%に上がることに対して、駆け込み需要だの消費が冷え込むだの軽減税率だのイートイン脱税だのと騒いでいる場合ではないのだ。
手取りの収入はものすごい勢いで減り続けている。そんな状況の中で、勤労世帯(そして将来の勤労世帯となる子供たち)の人口がびっくりするくらいのスピードで減り続けている。なんなのこのスパイラル。
何かすごい変化が起こりつつあるのに、何も手を打てていないのだ。
いろんな論客や政治家、経済評論家が鐘が割れんばかりに警鐘を鳴らしまくっているのだが、何故かそのまま生活は続いている。
大災害からは絆の力で復興できてきているし、オリンピックも誘致できたし、年号も変わったし、2020年という新しい時代が来る。とりあえず暮らしていけてるし。現状維持。とても楽。しかしいつの間にか茹で蛙になってしまいそうだ。
おいてけぼりの国?
この20年間、世界経済がぐんぐんと成長を続けている中で、日本だけが20年間ぴたりと止まって、いつの間にか追いつけないくらいの差ができてしまっている。
経済規模では人口の助けもあって世界3位の経済大国の地位をキープしているが、一人あたりGDPで換算すると世界26位※とかなり下位となってしまった。(いろんな要因があるとは思うし、一概に一人あたりGDPが国力を反映するとも思わないが)
※参照:「世界経済のネタ帳」
数年前から持てはやされているインバウンド需要や中国系の旅行者の爆買いといった現象も、日本のソフトパワーが世界に認められたからではない。
世界の物価が急上昇していく中で、20年間物価の変わらない日本が「安くて手軽、でもオリエンタル」な観光名所になっているだけなのだ。少し前のバンコクや台湾みたいなイメージだ。手軽に行けて飯が安くて美味い国。そりゃ観光客も増えるな。
そういった状況ではあるものの、テレビでは連日、『日本のココがすごい!』と喧伝する番組が流れており、どこか見たくないものに蓋をして、身内で楽しいコンテンツに大喜びしているような印象である。なんだか頭を抱えたくなる。
分水嶺を越えてきている実感
ここ数年、こういった日本の停滞に関して、何か分水嶺を越えてきた感じがしている。停滞期から衰退期への移行なのか。
普段、転職や就職に関わる仕事をしているのだが、日系の古い体質の企業をあえて選ばない学生が増えてきた気がするのだ。
アジア資本の会社に入ることに抵抗を持っていなかったり、むしろそれがクールな選択肢とする学生が出てきていたりする。
また、アジア諸外国からの留学生の質も以前と比べて変化してきたように感じる。質の高い教育とキャリアを求めての留学先ではすでに無くなってきているのかもしれない。
令和の時代、日本という国は明らかに斜陽衰退への道を滑り出し始めたのかもしれない。
何ができるのか?
さて、いつまでも現状を悲観してもしょうがない。
成長の昭和に生まれ、物心つく前にバブルが弾け、失われた20年の平成に育った僕ら世帯はあと50年はなんとか生きてかないといけないのだ。
そして、令和に生まれた我が子は、斜陽となりつつある日本で育っていかないといけないのだ。ぼく個人に何ができるのだろうか。
ここで主語を「僕ら」「私たち」「日本人」と大きくするつもりはない。大それたことを言って警鐘を鳴らしたところで何もしないでは意味がないし、あくまで目の前の生活をつづけながらやれることをやるしかないのだ。
日本が少し傾こうと、少しづつ衰退しようと、目の前の生活は続いていく。
日々真面目に仕事をして自分の価値を日銭に変えつつ、今の会社以外でも使えるような専門的なスキルもしくは汎用的なスキルを身につけていくのがまずは大事だろう。産業が衰退する、会社が潰れるなど大なり小なり変化はある。その変化に強い体質を少しでも作っておいたほうが良いだろう。独立起業するような性分でもないので、どこかで役立つ仕事人として生きていくのだろう。
また、清貧である必要は無いが不必要な出費はせず、リスクの高い大きな借金はせず、計画的に暮らしていった方が良いだろう。そして浮かせたお金で海外にきちんと分散して投資を続けていこう。これは順調に進められている。
そうやって足場をちゃんと固めつつ、その中で自分で調べて自分で考えて、選挙があれば何か将来のために動いてくれそうな政治家に投票する。変わるかはわからん。ただ、人間が2000年近くかけて作ってきた社会づくりのシステムなのだ。独裁や共産主義よりはよかろう。
なんとも無難な動きだ。無難過ぎて呆れてくる。呆れてくるがこの無難な動きがリスクを減らしていくのかもしれない。正解はわからないがなんとなくそう思う。
僕はまだ35歳の健康な中年で、ある程度仕事もやってきているので、もし会社が傾いたとしても何かしらの仕事には就けると思う。奥さんも幼稚園と保育の免許を持って10年以上働いているため、再就職に困ることは無いだろう。
そして、僕も奥さんもお互いに実家もあり、僕の実家の近くには亡くなった祖父母の家もある。最悪の場合なんとかなるだけの予防線はある。
また、経済がガタガタな国で貧しくとも幸せに暮らしている家族はたくさんいる。衰退期の黄昏の国だとしても日々の生活を淡々と送っている人もたくさんいる。その黄昏の国に幸せを見いだせるように、準備とそなえをしつつ、消費拡大だけでない日々の豊かさを感じて生きていくのが正解なのだろうか。
正直着地点が見えないが、現状思っていることを書きだしてみた。年末休みに入ったこのタイミングで、この記事を読む人はいるのだろうか。