太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

不穏な空気の中、お宮参りができない我が家。

新型コロナウィルスが世界中で蔓延しており、世界中の大都市で外出の禁止など、なにやらきな臭い状況になってている。僕がいる東京も今週末は外出を自粛してくれとのことだ。このコロナウィルスに関する一連のニュースに影響されて、世の中のストレス値みたいなものが少しずつ上がってきているような気がする。

 

12年前のリーマンショックの時代、ぼくは新卒2年目の半ばだった。日々の生活は問題なく続きつつも暗いニュースの割合がどんどんと増えていって、なんとなく不穏な空気に変わっていった。今はまさにそんな感じなのかもしれない。

 

今はまだ首都が封鎖されたわけではないし、取引先で倒産したようなところも出ていない。しかし、2月の頭くらいからテレビやネットでコロナ関連のニュースばかり流れており、その得体の知れない不穏な存在に2ヶ月近く影響を与え続けられた結果、社会全体が知らないうちにストレスを溜めていっているのかもしれない。

 

そしてそのストレスはどこかで吐き出されなければならない。一定の人々は、日用品や食料品を買い占めることで漠然とした不安を解消しているのかもしれない。中にはインターネットを介して誰かに怒ったり、批判したりしてストレスを吐き出そうとしている人もいるだろう。そしてその感情は、インターネットという増幅装置につながることで、ぜんぜん解消されずに、むしろ程度を増して誰かに突き刺さるまで加速していっているように感じる。

 

僕も見なければよいのだが、ついつい時間があるとtwitterを開いてしまい、世の中のよしなしごとについて喧々諤々の議論が交わされているのを見てしまう。世の中のインターネットユーザーが必要以上にセンシティブに感情的になっている気がする。

 

例えば、100日後に死ぬワニのはなし。

これはコロナウィルスとも全く関係なく、非常に素敵な物語でぼくも毎日更新を楽しみにしていた。しかし、愛すべきキャラクターが死んだ瞬間に書籍化映画化グッズ販売カフェオープンと怒涛の勢いで商業化が明らかになり、それに対して電通案件だ死への冒涜だ騙されただとお怒りになる方が多数。皆なぜそこまで怒るのだというくらいに声高に批判されているようだ。

あくまで一人のプロのイラストレーターがtwitterで始めた実験で、ぼくらはそれを無料で楽しませていただいたのだ。失望はすれど、声を荒げて怒る必要は無いような気がする。グッズが欲しい人は買えば良い。いらない人は無視すれば良いだけだ。

 

また、政府のコロナ対策に関するはなし。

やれ検査数が足りていない、政府の陰謀だと声を荒げて批判する人が多い。このテーマに関しては市民の安全な生活に直結するものなので神経質になる人が多いのもわかるが、陰謀論などを持ち出してヒステリックに叫ぶ人たちはどうしたいのだろうか。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い派の人達もいるのかもしれないが、普通に生きている市井の人々かにわかに政府の批評家となって、TwitterFacebook、NewsPicksのコメントなどでケンケンガクガクと意見を戦わせていらっしゃる。とにかく何か口に出さないとしょうがないようだ。そしてSNSの場合はその意見が尖っていれば尖っているほどリツイートなどで拡散されていく。なんだか怖いと思いつつ、尖った意見を目にして自分も影響を受けたり考えたり何かを言いたくなったりしている。

 

大事なのは、一人ひとりが正しい予防法や感染拡大防止のための動きを知って実行しつつ、困った人がいれば助け合うというただそれだけのはず。そこから気持ちが離れて感情ばかりが上下動してしまっても疲れてしまうだけだ。病は気から。できることをやりつつ安寧にいきましょう。

 

ところで、今週末は娘のお宮参りを予定していたのだが、またしても中止にすることになった。11月生まれなので、もともとは1月の成人式の連休に企画していたのだが、急遽できなくなっており3月末にリスケジュールしていた。今回のコロナの影響で九州の父母を呼ぶのは危険では?との考えで、近所に住む義父母とだけで実施しようかと思っていたところ、今回の外出自粛要請である。さすがに延期したほうがよかろう。

 

お宮参り用の祝い着を2度もレンタルしたのだが、またつかわず仕舞いとなってしまった。もう生後4か月となる我が娘よ。お宮参りできるのはいつになるのだろうか。