太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

ワークの停滞感と、ライフ全体の変化について。

最近なんとなく考えていること。

 

仕事でちょっと停滞感がある。この雑文書きにはあまり仕事のことは書いていないのだが、年齢のわりには責任のある立場を任せていただいており、日々遅くまで働いていたりする。

 

もともと、僕は事業の立ち上げフェーズから関わっており、事業の成長と足並みを合わせて役職も上がってきたのだが、ここ2年くらいがどうにも停滞感を感じてしまっているのだ。そこにきてこのコロナの打撃である。ここ半年はかなり厳しい状況であった。

 

会社組織が抱える一般的な課題として、役職者が能力の上限で停滞してポストが埋まってしまうというものがある。

 

個人が能力に応じて昇進していく場合、個人の持っているポテンシャルや成長に合わせて、ポストも上がっていく。しかし、そこで新たな能力開発を行っていかないと、自分のもともと持っている能力の上限のポストで止まってしまい、そこで停滞してしまうのだ。

組織としてみても、各部門のポストが停滞者で埋まってしまい、それが結果的に事業の停滞につながってしまうのだ。

 

なんとなく、その状態になってしまっているのかもしれない。気持ちを入れ替えて何か変化を起こし、能力を引き上げないとという危機感が出てきている。ただ、現状維持を好む性格もあり、子供がまだ小さいということもあり、コロナの状況ということもあり、動き出せていない今日この頃。言い訳多いな。

 

そういって焦る反面、ある程度この状態でも楽しめばよいのでは?という気持ちも出てきている。ある種の開き直りである。

 

仕事の面で変化が起きず停滞しているものの、生活全体でみると結構な変化が起きており、人生はゴインゴインと音を立てて前に進んでいるのだ。4年前に奥さんと出会い、2年半前に結婚し、昨年は娘が生まれて、その娘が1歳になりパパーと声を上げて歩いたりしている。隠したお菓子を見つけて半狂乱でパッケージを開けてとせがんできたりする。半年前には寝返りも打てずにもがいて泣いていたのだ。なんたる変化成長だ。また、今後の家族の生活を考えて、そろそろ家も買おうかと計画中だ。

全然停滞していないのだ。

 

 

生活の満足度をはかる言葉に、「ワークライフバランス」という言葉がある。僕は社会人になってこのかた、この「ワークライフバランス」という言葉に違和感を感じ続けている。ワーク or ライフみたいな考え方はおかしい。以下が正しいはずだ。

 

 ライフ=(ワーク+余暇含むその他もろもろ) 

 

ワークというものはお金を生み出すし、20代~60代くらいまでのかなりの時間をつぎ込むものなので非常に大切ではあるが、生活と対をなすほど大きいものではないだろう。

 

今ちょっと考えてみて、以下みたいなイメージがしっくりくる。

 

 ライフ=健康(家族+人間関係+環境+ワーク+余暇+その他)

 

この式でいくと、あくまで仕事はライフの一部であって、ライフとバランスを取るものではない。全体としてそこそこ満足であればよいのかもしれない。ここ数年は家族がぐぐっと変化してきた。それに伴って余暇の過ごし方も変化してきた。今後は住環境を変化させていこうかと考えている。結構変化しているのだ。

 

ここから先、家族と環境がある程度整ってきた上で、ワークや人間関係に変化を与えていってもいいのかもしれない。また、健康はすべてに影響を及ぼすので、引き続き気を付けていきたい。(余談だが、今年から会社の健康診断で人間ドッグを始めたが、視力以外はオールAだった。食事と運動のおかげである)

 

 

先日、上司と雑談していたのだが、今後のライフワークとして、千葉の田舎のほうに土地を購入して、自分で開墾するか、別荘を建てるようなことをしてみたいと語っていた。

彼は僕と同年代ではあるが、10年ほど前に結婚しており、マンションも購入済で、あと数年もすると子供も手がかからなくなってくるという。そうなると、仕事以外の時間がどうしても張りがなくなってしまうので、10年20年と楽しめる次のテーマとして、別荘づくりというものをやってみたいそうだ。その気持ちはわかる。青春の日々はとても短く、人生100年時代、その後に残された年月は残酷なほど長い。

 

その中の一年や半年で焦って全てを変化させなくても良いのかもしれない。という言い訳の弁。

 

 

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今朝の空。何かが落ちてきたのか、ぽっかり穴が空いている。