太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

コロナと五輪について。『繁栄』を読んでの知見。

疫病が蔓延しているせいで東京オリンピックの開催が揺れている。

 

せっかくこういった個人的なブログをやっているので、今の社会の雰囲気や、僕が考えていることや感じていることを記録しておこうと思う。

普段、子供との休日の話や何を作って食ってうまかったなどの平和な話しかしていないので、いきなりコロナだオリンピックだのの賛否両論必至の話をしてしまうと違和感しかないと思うが、僕が今考えていることを残しておきたいだけなのでご容赦ください。

 

先にエクスキューズしておくと、この考えに基づいて他人に何か伝えたいとか、行動を変えてほしいなどは一切ない。そして僕個人的にもオリンピック開催やコロナ関連で何か行動を起こすつもりもない。多少制限された日常を気を付けつつ過ごすだけだ。

オリンピックが開催されても中止されても、期間中の休日には公園に行って娘と遊ぶだろうし、中華料理でも作って家でビールを飲むだろう。

 

 

2021年になり、緊急事態やマンボウが出たり引っ込んだりまた出たりしているうちに(まるであの有名なマンボナンバー5みたいだ)、気づけばオリンピックの開催日まで2か月を切っている。あっという間である。先日ヨット競技の会場である江ノ島に行ってきたが、海外からのコンテナが大量に運び込まれ、プレハブの大会施設も組まれており、ハード面での準備はとりあえず進められている様子だ。

 

しかし、観客をどうするのか、海外からの関係者の入国をどうするかなどの詳細が固まっていないようで、ボランティアの募集などもまだ具体化していないような印象だ(実際どうなのかは調べていないので不明。あくまで一般的なニュースやSNSでの情報をもとに判断しているだけです)

僕の印象では、延期や中止を求める声や反対論はあるものの、賽は投げられており、もろもろ調整しつつも開催されそうな印象である。というよりも、善かれ悪しかれもう誰もブレーキを踏めないような段階にきているのかもしれない。

 

遅い遅いと言われていたワクチンの接種については、現時点で1100万回程度が摂取されている(1回目と2回目の合計。1回目のみだと800万人程度※NHK調べ) 1日あたりの接種数も50万件近くなってきており、まだまだ諸外国よりも遅いとはいうものの、自衛隊や各医療機関、医療従事者などは全力で職務に当たられているようで、接種スピードはどんどんと上がってきているみたいだ。日本人の特性として、いざ現場が動き出すとめちゃくちゃ強い。

 

そして心配されていた新柄コロナ感染の第4波についても、5月の連休をピークに減少に転じている(もちろんまだ非常事態宣言中だし、予断を許さないとは思うが)

 

ワクチン接種が進み、かつ国内の感染も小康状態ということであれば、なんだかんだで開催されるんじゃないかなと思っている。僕としては、積極的に開催せよ!ということではないが、ここまで来てこの状況であれば、開催で良いんじゃないかなと考えている。

 

IOCJOCが利権まみれでマジ無理!とか、医師会が利権まみれでいらんこと言うな!とか、オリンピックをやることで海外から大量の選手やスタッフが入国することで感染爆発の危機だ!とか、大阪はまだ医療が逼迫しているのに何だ!とかもろもろ不満や不安があることは承知している。

 

ただ、開催までにワクチンの接種は進む見通しで、少なくとも医療従事者と、リスクの高い高齢者のワクチン接種は完了しそうである。また、海外観客の受け入れは無いため、選手やスタッフの入国についても、ワクチン接種やPCR検査等でリスクを減らすことは十分可能なんじゃないかと思っている。100%の行動制限は不可能としても、現状も国際線の飛行機は飛んでいるわけだし、出入国はされているのでどのみち100%の感染阻止は無理なのだ。かつ、これまでの日本の状況を見るに、大規模な感染拡大と、そこからの爆発的な犠牲者の増加はそこまで可能性が高くないと思っている。

 

これはただの楽観論かもしれない。考えが甘すぎるのかもしれない。

 

ただ思うのだが、いろんな問題はあれど、開催されたらなんだかんだ盛り上がるような気がするのだ。終わってみれば、ワクチン接種に尽力した医師や自衛隊の美談、コロナを乗り越えたアスリートの美談など、メディアで盛んに報道されるような気がする。世の常として終わってみれば良かったよねとなることの方が多い。

 

 

あとは、僕の個人的な願いのようなものだが、この1年数か月ほど、ずっと自粛自粛でなんとなく社会に蔓延している閉塞感が、このイベントを機に少しでも解消され、明るい話題が出て欲しいなというものもある。

 

もし開催中止となった場合、コロナの感染はゆるゆると収まったとしても、なんとなく救いが無いような気がするのだ。

 

この20年間、日本経済はほぼ成長しておらず、世界的な影響力を失い続けてきている。世の中の空気がなんとなくあきらめモードというか、厭世的というか、皆で等しく貧しくなっていきましょーねというようなムードになってきているような気がするのだ。

そしてそこにコロナ禍である。ますます暗いムードが蔓延し、政府批判が噴出し(もちろん批判されてしかるべきこともあるが)、メディアは暗い話題を嬉しそうに騒ぎ立て続けてますます不安を煽っているような状況である。

そこにオリンピック中止となると、ここまで準備してきたものはすべて無駄になるし、もう盛り上がって再び頑張ろう!というきっかけを持てず、「僕らはもう終わった国なんです・・・」というムードになってしまわないかなと心配しているのだ。僕も小さな子供を持つ親として、少しでも明るい社会で子供を育てていきたいのだ。

 

そうならないためにも、一つの区切りとして、ビッグイベントを開催するというのは一つありなのではと思うのだ。飢饉や社会不安が起きた際に大仏を建立するのと同じだ(同じではないか)

 

 


今、イギリスの科学ジャーナリスト、マッド・リドレーの『繁栄』という本を読んでいる。人類がこの10万年、分業や、富や物質や知識、経済の交換を通じて繁栄を作り出したという説を唱え、世の中は課題は多いが、自由貿易をはじめとした交換を通じて世の中はどんどんと良い方向に進んでいるのだということを述べた科学ノンフィクションである。

 

そこで盛んに言及されているのが、「そもそも人間は悲観的なニュースが大好きで、人類は常に新しい危機に瀕し続けているが、どれも危惧されたような状況には陥っていない、世の中は確実に良くなっている」ということである。

 

例えばこういった言説。
人口爆発で飢餓が来る
化石燃料は2000年を待たずして枯渇し、人類の繁栄はストップする
酸性雨で地球上の森林が死滅する
2000年問題で世界のコンピューターが一斉に停止する
・遺伝子組み換え食品が人間の遺伝子に深刻な悪影響を及ぼす
エボラ出血熱鳥インフルエンザ豚インフルエンザSAAS/MAAS

 

などなど、当時は盛んにもてはやされた?人類滅亡の危機だが、実際はどれも影響は軽微なものだったのだ。

 

今回のコロナ禍は多数の犠牲者を出しており、アメリカだと第二次世界大戦の犠牲者を超えたりしているので、まったく同等には扱えないとは思うが、今の日本の状況だけを見るに、この悲観論大好きのメディアに煽られて、少し過敏に反応しすぎているような気もしている。

 

今のワクチン接種のスピードを考えるに、半年後か一年後か、また日常が戻ってくるに違いない。変異種や新たなウィルスがまた猛威を振るう可能性はあるが、それを恐れてリスクをゼロにするというのはもともと不可能なのだ。

それぞれが感染に気を付けつつ、全体としては経済を回しながらやっていくしかない。

 

今の所そんな心境である。