太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

世代が変わっていくこと。

珍しく、身辺雑記を2週間以上書いていない。前回前々回のポストは下書きにずっと入れていたものなので、あらためてPCでブラウザを開いて書くのは半月ぶりである。

 

というのも、10日ほど前に実家の祖母が亡くなり、その前にお見舞いも行っていたりで2週間ほどバタバタしていたのだ。身内の不幸をワールドワイドウェッブに載せるのもどうかと思うが、そこまで閲覧者も多くないため、自分のための備忘録として残しておく。

はじめに書いておくが、祖母は93歳という高齢で、大きな病気などもなかったので、いわゆる大往生という形である。なので今回のエントリでは特に悲壮なエピソードは無い。

 

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9月末の平日、佐賀にいる父親から、施設に入所している祖母がもう長くはなさそうだという連絡をもらう。そこで週末に離れて暮らす兄弟3人がそれぞれお見舞いに行ってきた。福岡にいる長兄は金曜日に奥さんと0歳の娘の3人で行ってきて、大阪在住の弟と横浜在住の僕が土日に集まって施設に行ってきた。


祖母はしばらく高熱が続いているようで、お見舞いにいった際もほとんど意識は無く、眠っているというか昏睡というのかそんな状態だった。ただ、明らかに衰弱はしており、たしかに長くはなさそうだなという印象だった。トンボ返りではあったが亡くなる前に一度顔を見れて良かった。

 

そして、そのままあまり意識も戻らないまま、10月9日(土)の深夜に前に息を引き取った。93歳。大往生である。その日の夜のうちに、月曜にお通夜、火曜日に葬儀という日取りが決まる。僕は月火と忌引きをもらうことになったので、日曜日は仕事の段取りをつけに会社へ向かい、ひたすら引継ぎの準備をしていた。

 

11日(月)の昼前の飛行機で佐賀へ。葬儀会場には17時前に到着し、19時から通夜。僕と弟は受付の手伝い。

通夜では父親関連の参列者が多く、こういったつながりって田舎だと大事なんだなと再認識。本来であれば、僕も仕事上は上司として部下や同僚の親の葬儀などには参列すべきなのだろうが、僕の会社はベンチャー企業で田舎から出てきている人がほとんどなので、そういった対応はほどんどない。僕ももういいおじさんなのだが、大事な文化を経験せずにきてしまったような感じがある。

 

また、地元の同じ町内だった同級生が葬儀場の担当として付いてくれていた。Facebookでやんわりとつながっていた子でどんな仕事をしているのか知らなかったが、1年半ほど前から葬儀屋で働いているそうだ。奇遇である。

 

翌日は11時から葬儀。父親の喪主挨拶で知ったが、僕と祖母は全く血のつながりが無いらしい。実の祖母が若くして亡くなっていたことは以前から聞かされていたが、僕はなぜか父の実母のお姉さんだと勘違いしており、少しばかり血の繋がりがあると思いこんでいた。しかし考えれば変な話である。どこで思い違いがあったのだろうか。

 

実の祖母(父の母親)が亡くなった際、父が18歳、叔母が5歳だったので、親戚総出で後妻さんを探し、当時北九州で看護師をやっていた祖母を迎え入れたらしい。昭和3年生まれで昭和48年に嫁に来たそうなので、40代で後妻として嫁いで、しばらく大変だったことだろう。ただ、祖父が愛妻家だったようで、その後45年ほど夫婦として仲良く暮らしていたんだからすごいものだ。兼業農家で貧しい家計だったそうだが、老後は夫婦で海外旅行に行ったりと楽しんでいたみたいだ。

そして93歳まで大きな病気もせず、健康に長生きを続け、趣味の水墨画やゲートボールなども楽しんでいた。僕ら孫が祖母宅に行った際には、おはぎやお赤飯、から揚げなど山盛りのご馳走を用意してくれた。

いつもケラケラと笑っていた明るい祖母だった。紆余曲折あっただろうけど素晴らしい人生じゃないかと思う。

 

12時過ぎに出棺。それぞれ車に分乗して火葬場に向かう。90年の人生も2時間で灰になる。収骨し、近くの料理屋で精進落としの法事を行う。僕と弟は当日中に自宅に戻る必要があり、宴会の前に失礼させていただいた。

 

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今回亡くなった祖母は、僕の祖父母4人のうちで一番長生きだった。

 

大学4年の冬に母方の祖母が亡くなり、その後27歳の時に母方の祖父が亡くなった。それからしばらくして、去年、2020年の1月に父方の祖父が風呂でおぼれて急に亡くなり、そして今回、父方の祖母が亡くなった。僕が21歳~37歳の16年間で、僕らの2代上の人たちが皆、天寿を全うしたわけだ。父方の祖父は事故だったが、もう89歳だったのでほぼ天寿みたいなものだろう。


そしてその間の16年間で、僕ら三兄弟が社会に出てそれぞれ結婚し、皆子供まで生まれている。世代の歯車が明確にひとつ進んだわけだ。ぼくら世代にとっては父と母はあくまで父と母だが、60代も後半となり、少しずつ老人に近づいていっている。当たり前だが、僕の娘からすると明確にじいじとばあばで老人なのだ。遅くともあと20~30年もすると必ず世代は変わっていく。

 

うちの父が実母を亡くしたように、祖母が長い独身の後に後妻に入ったように、それぞれの人生の中でいろんなことが起きてそれぞれの人生に影響を与えていく。そんなことが積み重なりつつ、生活して次の世代にバトンを渡していく、その区切りが一つ終わったのだ。


祖母がちょっと変わり者だったからなのか、もう長寿で悲しいお別れじゃないからか、それとも血がつながっていないからか、皆驚くほどにあっけらかんとして淡々と通夜葬儀の一連の法事が進んでいった。自分の感情としても、やけに淡々としていた。むしろちょっと冷たいのでは?という感じたくらいだ。

 

父としては、思春期に来た新しい母親なので複雑なこともあっただろう。ただ、その後しっかりと家族の一員として祖父と仲良く過ごしてくれたこと、幼かった叔母の親としてちゃんと育ててくれたこと、自分の息子たちのおばあちゃんとして可愛がってくれたこと、それに対するある種の義理として、最期までちゃんと面倒を見ようと思っていたのかもしれない。


そして、父母の親世代の最後のひとりを看取ることで、父母世代としての勤めを果たしたというそんな感じなのかもしれない。法要を終えて、空港に向かう電車の中で2日間のことを振り返りつつ、なんとなくそう思った。

 


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