はいこんにちは。
なんだか昔のことを思い出すことが多かった11月。秋が深まっているからか、それとも僕がおじさんになったからか。たまにはこういった日々もある。
◆いつの間にか600記事突破
500記事目が2023年の2月だったので、投稿ペースは結構落ちている。ここのところ、週末といえば子供たちの相手ばかりで喫茶店でノートを開いて頭の中を整理することもずいぶん少なくなっているが、やっぱり必要だなと思って意識的にノートやGoogleKeep、このブログに何らかの文章を残すようにしている。
もともと、このブログは文章を書くため、自分の心情や考え、その時に起こった事象を書き起こすためのある種のリハビリのような感じで書き始めた。(当時、Gooブログでは10年近く投稿を続けていたが、ちゃんと書くならやはりはてなブログだろうという認識だったのだ)
それから7年が経過し、子供が生まれ、家を買い、二人目の子供が生まれ、そしてその子が次の春には小学校に入ろうとしている。月日は百代の過客にして、行かふ年も又なんとやらだ。僕もいつの間にか40代になり、自他ともに認めるおじさんになった。日々過ごしていればここに書けないようなことも起きたりするが、子供たちとの大切な思い出の多くはここにも記録してきた。
リハビリとして始めたブログが、いつしか僕の家族史におけるログになっていた。僕は人よりもエピソード記憶が弱く、昔のことを思い出すのは正直苦手である。子供たちが小さく、日々できることが増えていったり成長を感じたりするまさに今が、のちのち思い返してみると、僕の人生のハイライトとなるのかもしれない。
家族の(または僕の人生の)ログを残すという意味も含めて、更新頻度は低いが続けていきましょう。
◆娘の誕生会
娘が6歳になった。今回娘はいろんなところで祝われている。まず保育園の誕生会で祝われ、誕生日の当日は僕も早めに帰宅してお祝いした。そして翌日、写真館で七五三の撮影をしてそこでも祝われ、その日の夕方に自宅に祖父母といとこたちを招いて誕生パーティを開いてしっかりと祝われた。娘は大好きなプリキュアのキュアズキューン(なんて名前だ)のドレスとカチューシャをプレゼントされてご満悦であった。娘はズキューンのドレスを着て、狭いマンションの部屋を練り歩いては親戚一同にファンサービスを行うというちょっと変わったアイドルとなっていた。
そして翌日、家族で不二家のレストランに行き、誕生日の特典で店内放送でお祝いしてもらい、写真まで撮ってもらった。誕生日がゲシュタルト崩壊しそうだな。とはいえ健康に6歳を迎えられた娘よ、宇宙で一番おめでとう。
◆旧交を温めるイベント
僕はあまり社交的なタイプではないのと、子供が生まれてから友人とのイベントごとも参加頻度がぐっと下がってしまっていたのだが、11月は珍しく旧交を温める機会が重なってなんだかエモい気持ちになっていた。
①出身大学のヨット部が全日本インカレに出場するということで、子供たちを連れて江の島まで応援に行ってきた。正直、現役の学生達は20近く離れているため面識はないが、僕が現役の頃からお世話になっていたコーチや監督、OBさんもいらっしゃっていたので、久しぶりにお会いできて良かった。現役の選手達は11月だというのに真っ黒に日焼けして、大きな大会に緊張しつつも真剣にそれぞれがやれることに向き合っている感じでとても眩しかった。僕は子供たちもいたので出艇前の1時間ほどの滞在だったが、日本一を決める大会の独特な空気感と、そこに参加する後輩たちの頑張りに元気をもらった気がした。
②会社のお世話になっていた役員が退任されることになり、大規模な送別会が開催された。今回は古参のOBも参加しやすいようにと、招待者は会社の創業時から僕が入社した年次までに限定され、送別会兼同窓会として企画されており、渋谷のイタリアンを貸し切って盛大に執り行われた。
うちの会社は入れ替わりも激しいため、僕みたいに新卒から20年近くいると大ベテランみたいな扱いをされることが多い。しかし、今回のイベントでは僕が一番若手枠で、僕がぺーぺーだった頃にお世話になっていた上司や先輩ばかりでなんだか不思議な感じであった。久しぶりの方が多かったのだが、参加していたメンバーの三分の一程度は自分で会社を経営していたり、役員になっていたりと皆さんそれぞれの持ち場でチャレンジをされていた。
僕がまだ同じ会社にいることを伝えると皆驚いていたが、僕も皆さんに負けないように、今の持ち場でもっと頑張らないとな。多くの方は2次会に参加されるようだったが、僕は1次会だけで失礼させていただいた。
③元商社ヨット部の友人のKがアメリカから一時帰国するとのことで、よく飲んでいたメンバーで集まり、久しぶりに新橋で飲んできた。もともとは江の島と葉山で活動する企業ヨット部の若手メンバーで、20代から30代にかけて、毎月のように集まって飲んだり、スノボ旅行に行ったり、パーティや忘年会などのイベントをやっていた。
しかし、コロナ禍の数年間で飲み会をやることもずいぶんと減ってしまい、その間にそれぞれ結婚したり子供ができたり、海外駐在に行ってしまったりと生活スタイルが変化してしまった。さらにコミュニティの中心人物だったKが海外の企業に転職し、本格的にアメリカに移住してしまったことで、集まる機会がぐっと減ってしまったのだ。
今回9名のメンバーが集まったのだが、集まったらあっという間に当時の関係性に戻れるのが良い。皆さま超有名な大企業のエース社員たちなので、僕なんかは想像できないくらいに仕事ができる方々なのだが、ヨットレースという一つの趣味で集まった貴重な仲間だ。来年7月にまたKが一時帰国するとのことで、今度は合同でレースやりましょうとのことで解散し、またそれぞれの持ち場に戻っていった。
◆Uさんのはなし
もともと下書きには入れていなかったのだが追記する。
僕の大学ヨット部の17個上の先輩のUさんが逝去され、お通夜に参列させていただいた。大学の先輩とはいえ、僕が東京に出てきてからもUさんとは面識がなかったのだが、Facebookで急に連絡をもらい、2012年のシーズンより東京湾で活動しているクルーザーのチームにお誘いいただいたのだ。
Uさんはその後すぐに福岡に転勤されたので、一緒にヨットに乗ったのはほんの数回程度しかなかった。しかし距離は離れていたものの、もともとUさんが担当していたポジションを僕が引き継いだということもあり、また、Uさんも僕もヨットに関しては相当にマニアックなタイプだったので、ブログのコメントやメッセンジャーなどでヨットの走らせ方について相談することも多く、なんとなく師匠のような存在だった。
UさんはFacebookでたまに近況を投稿されており、 ここ数年は、千葉の稲毛にヨットクラブを設立されたり、昨年の秋口にご自身でも小型艇を購入されたりとエンジョイされているようだった。今回突然の訃報を受けて知ったのだが、この1年半ほど癌で闘病されていたらしい。お通夜で一緒だったヨットチームのYさん曰く、がんが発覚してから、残された自分の時間を精一杯楽しもうと小型艇を購入されたんじゃないかとのことだった。なんともUさんらしい。
定年を数年後に控え、第二の人生ここから改めてヨットに向き合っていこうというタイミングだったんじゃないかと思う。あまりに早すぎる。
Uさんはご自身の転勤のタイミングで僕を後任として探し出して声をかけてくれたり、転勤先でもヨットの知り合いを作ってレースに参加されていたり、最近も自分でヨットクラブを立ち上げたりと、その時その時で自分から動いてヨットを続けて楽しまれていた。そうやって自分から動いて機会を作っていくことが大事なんだと思う。
Uさん、本当にお世話になりました。向こうでものんびりヨットライフを楽しんでください。ご冥福をお祈りします。