どうにも右ケツの奥が痛い。痔ではない。腰痛でも無い。ケツの奥地が痛い。ぼくのケツが桃だとすると(そこまでフレッシュではないが)、右のふくらみから果肉に進んで、大きな種に到達する寸前のあたりが痛い。
1年ほど前からほんの少し痛いな~という時はあったのだが、なぜか今週から激化している。そんなに仕事に行きたくないのだろうか。特に朝起きてすぐは痛みで歩けない。立ち上がるのも一苦労だし、顔を洗いに洗面所に行くまでに、生まれたての小鹿のようにプルプルしてしまう。片足で立つと激痛がくるため、立ったまま靴下が履けない。
起きて30分くらいするとだんだん痛みも治まってくるのだが、ちょっと小走りすると痛くて笑えてしまう。時々プルプルしながら通勤する。会社に着くころには何故かすっかり良くなっており、背筋をシャキッと伸ばして颯爽と出社できてしまう。悲しいサラリーマンの生態なのか何なのか。
仕事に支障は無いのだが、毎朝あの激痛があると考えるとうんざりなので、昼休みに会社の近くの整形外科に行ってみた。内科も併設している病院だが、インフルのシーズンも終えて、花粉症も新規に発症する人は一段落してくる時期のようでそこそこ空いている。
10分ほど問診を受け、腰や骨盤を中心に10枚くらいレントゲンをバシャバシャ撮ってから改めて説明を受ける。60代中盤くらいのおっちゃんの院長がレントゲン写真を指差しながら丁寧に説明してくれる。
院長「この腰のあたりの頸椎の間がすり減っていて、椎間板の可能性があるね……あれ……あれ?」
ぼく「どうしたんですか?」
院長「このレントゲン前の患者のだね。アハハハハ」
ぼく「アハハハ」
いい加減にしてくれ。
正しい写真を確認してみると、椎間板や関節には何も異常がないらしく、すごく華麗な骨だねと感心された。骨を褒められるのは初めてだったが複雑な気持ちである。
院長曰く、確実な原因は不明だが、腰のあたりの関節の不具合で神経が圧迫されて、繋がってるケツの奥の筋肉に痛みが出ている軽い坐骨神経痛なのではないかとの事。
腰痛の一種みたいなものなのでとりあえずとコルセットを渡され、腰痛のメカニズムと予防するための体操法が書かれた雑誌の記事のコピーを数枚渡される。その記事には「腰痛は二足歩行を始めた人類の宿命!」という怖い見出しが載っていた。このおじさん治す気があるんかいな。腰にかかる負担を減らすために、寝る時に足を高く上げて練ると良いそうだ。膝下あたりにふとんを巻いたようなものを入れて寝てみたら?と。こんごずっとそうして寝ろというのか。難易度が高い。
整形外科にかかったのは物心ついてから初めてなのでこれが正しいのかは分からないが、モヤモヤした気持ちである。とりあえず、午後からコルセットを巻いて仕事して帰った。
関節とか骨、神経の不具合は風邪や花粉症と違って薬で症状を抑えるということが出来ないし、なかなか完治に持っていくのが難しいのは理解できる。ただ、ずっと足を上げて寝ることや、ずっとコルセットをして生活するってのもなんだか変な話である。もっと症状が激化して動けないようにでもなったら、外科的な方法でどうにかするしかないのだろうが。そうなる前に、ストレッチやトレーニングでなんとかしたいものだ。
座りっぱなしの仕事内容や姿勢が悪い影響を起こしていたり、二足歩行から宿命的な腰痛を抱えていたとしても、30年そこら生きてるだけで動けないような痛みに襲われるようでは生物の進化としてどうなのかという感じである。自分でどうにか解決したいものだ。
インターネットを駆使していろいろと調べていると、どうやら「梨状筋症候群」というものが怪しい気がする。ケツの奥にある筋肉の梨状筋が緊張することで、足の神経を圧迫しているとのこと。関節に問題が無い場合は、こちらの可能性もあるらしい。
そういえば、「梨状筋」は以前も調べたことがある。
20代の後半に登山にハマって友人達と長野や山梨の2000m級の山に登りまくっていた際に、膝を痛めてしまい、「脹剄靭帯炎(通称ランナー膝)」という症状に悩まされていたのだ。このときもケツの奥の筋肉、「梨状筋」あたりが硬いことで、繋がっている膝の靭帯が骨に擦れて痛みを出していたのが原因だったようだ。それも右足だった。
もしかすると、ぼくは人よりもケツの奥の筋肉が緊張しやすいのかもしれない。人前で緊張しがちな人もいるし、2人っきりでいるときに緊張しがちな人もいるが、ぼくはどちらかというとひとりでいても大勢といてもケツの奥の筋肉(しかも右だけ)が緊張しがちなのだ。
小柄で腰まわりの骨がすごく綺麗で、ケツの奥の筋肉がこりやすい人、だ。
肩こりや腰痛持ちなどのメジャーな症状と違って、ケツの奥こりってのはなかなか共感を得づらいだろうな。自分から言って共感を求めにいく必要もないが。
今後はケツの奥の筋肉をリラックスさせるべく、しばらくストレッチ等やりながら様子をみてみる所存である。