太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

百貨店は人類の集合知。カレーを作る。

土曜日の話。

 

いつも通り、起きて布団を干して、洗濯を2回転。大量の洗濯物がベランダで揺れているのが心地よい。適当に家にあるもので朝飯。

 

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僕は見たことが無いのだが、佐藤健がマヨネーズのCMでやっているという「焦がしマヨたまトースト」なるものを作ってみた。

トーストの周囲にマヨネーズで土手をつくり、その上にタマゴを割り入れて、胡椒をひいてトースターで焼く。結構長めに焼いたのだが、どうやってもタマゴが半生になってしまう。食べると盛大にタマゴが皿にこぼれる。手も皿も口まわりもべったべたである。味は美味い。

隣はバケットにキンピラごぼう、チーズ、マヨを乗せて焼いたもの。お惣菜パン。

 

午前中はベランダで日光を浴びつつ、ラジオを流し靴を磨く。

インターFMでハワイを特集する番組が放送されており、ハワイのローカル情報を英語なまりの日本語で紹介しつつ、ハワイアンミュージックを流していた。揺れる洗濯物とFMから流れるハワイアンになんとも言えないゆったりした気持ちになる。休日感。

 

お昼前に奥さんの実家へ。

奥さんのおばあちゃんが北海道に帰るということでお見送り。

おばあちゃんは普段は北海道で一人暮らしされているのだが、雪が積もる季節は一人だと何かと大変なので奥さんの実家に同居されていたのだ。ご高齢なので慣れない土地のマンションで暮らすのは何かと大変だとは思うが、大きくなった孫の家族や、ひ孫にかこまれているというのも刺激があって良いのかもしれない。義理のお父さんが空港まで車で送っていき、義理のお母さんが付き添いで北海道まで。奥さんのお姉さん一家と僕ら夫婦で手を振ってお見送り。

 

さて、奥さんは友人とランチとのことで僕はジムへ。いつも通りのトレーニングをこなしてから中華屋で昼飯を済ませ、カフェで読書する。なんだか毎週おなじようなことをやっている気がする。ルーチンワーク

 

ランチを終えた奥さんと横浜駅で合流し買い物へ。横浜のそごうでちょっとした贈り物を物色する。これまで、百貨店で買い物することはほとんど無かったが、いい歳になり結婚し社会とのつながりが増えるにつれて、贈答品等のニーズが出てくる。そんな時にとりあえず百貨店をぶらぶらしてみると良いものが見つかるものだ。ちょうど良い金額でちょうど良いパッケージングでちょうど良い品質の商品がある。凄い。これまで幾多もの贈答品のニーズに応え続けてきたのだろう。贈答品を選ぶという場合において、百貨店という業態は、歴史の中で最適化された人類の集合知の成せるものなのかもしれない。凄い。

 

また、そんなに高い買い物をしなくても、「良い買い物をしたな~」と思えるのも良い。今回、商品はそのまま配送までお願いしてしまったので、荷物は増えず「良い買い物したな~」という感触のみを持ち帰ることができる。健康で文化的で快適な買い物生活である。

 

最寄のスーパーで食材も買って帰宅。最近、奥さんも仕事が忙しく食事の準備が大変そうなので、大量にカレーを作り置いて保存食にすることに。豚バラのブロックが安かったので圧力鍋で角煮カレー。


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・豚バラブロックを大きめの一口大にカット
・フライパンで焼き目を付ける
・生姜一片と共に高圧力で20分程度煮る
・その間にタマネギを大量に千切り
・豚を焼いたフライパンでそのままタマネギを炒める
 (水を少し加えて最初に煮るようにしたら火が通りやすかった)
・飴色にいためつつ他の野菜もカット
・飴色になったころに豚も煮えているので鍋に入れる
コンソメキューブと塩コショウ、クミンシードを入れて圧力かけて10分煮る
・煮ている間にオクラ、キュウリ、トマト、レタスでサラダを準備
・10分経ったらルーを入れてひと煮立ちさせて完成!

 

だいたい1時間くらいで完成。美味い。僕と奥さんだけが食べる料理なので、そこここで手を抜いている。途中でフライパンは洗わない。ジャガイモの皮は剥かない。豚肉は下茹でしない。気楽な食卓である。

 

 

自炊は環境が9割。

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この雑文でもたびたび記載しているが、週末は僕が食事を作って奥さんと2人で食べることが多い。平日は僕の帰りが遅いので、奥さんが用意してくれることが多い。

以前も書いたが、食事を作ることについては全く抵抗がなく、むしろストレス発散の材料として気楽に作っている。そして外食に比べて圧倒的にコスパも良いし、暖かい家でゆったりと美味い物を食ってお酒を飲んで酔っ払って寝れるなんて最高だと思っている。

 

しかし、世の中には全く料理をしないという人も多い。また、食事の用意が苦痛だという人も多い。僕からすると、こんなに楽しくて家族や友人が喜んでくれて、しかも美味しくて健康に良いという趣味は無いなと思っているのだが、料理をする人としない(したくない)人にはどうやら大きな断絶があるようだ。

 

自炊する人からすると、「こんなに簡単で美味しい料理」だとしても、自炊したことがない人からすると、物凄く面倒で困難な作業だったりもする。

 

思うに、自炊をするかしないか(できるかできないか)というのは、料理してみたいという意思はもちろんだが、それ以外の大部分は自炊のための環境があるかどうかでほとんど決まってくるのではないだろうか。

 

環境がない場合は環境をはじめに構築しないといけない。これがかなり大変だ。自炊初心者がカレーを作ろうとするだけで、以下のようなものを用意する必要がある。

 

・鍋(調理器具)
・炊飯器(調理家電)
・包丁、まな板、お玉、菜箸かヘラ、ピーラー、しゃもじ(調理器具)
・お皿、コップ(食器)
・ルー、塩コショウ、サラダ油(調味料)
・肉、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、お米(材料)

材料以外の初期投資が重い。

 

また、1食分だけを作って食べることはしないので、冷蔵庫、保存容器も必要だし、また食べるためには皿を洗って片付けるための洗剤、スポンジなども必要になってくるだろう。

 

単身者用の狭いアパートなんかだと、一口のIHコンロと洗面器サイズのシンクを備え付けただけの物件もあるが、それでは不便すぎて続かないので少なくとも野菜を切るスペースがあるくらいの台所も必要となる。

 

それだけでなく、家から徒歩圏内(もしくは生活の導線上)に生鮮品を売っているスーパーが無いといけないし、仮に残業の多い社会人なんかだと、その人の帰宅時間まで開店してるスーパーでないと自炊を続ける障壁となってしまう。自炊初心者からするとすべてが大きな壁だ。

 

僕自身の経験でも、学生時代にレストランのキッチンでバイトしていたため、自炊のスキルと自炊したい気持ちは持っていた。しかし、東京に越してきて一件目のアパートは最寄駅から家までかなり遠く、かつその道のりはほぼ住宅地で駅前に牛丼屋とコンビニと中華屋しか無く、食材を買うためには家とは真逆の方向に10分近く歩く必要があった。当時は終電まで働くのが当たり前の環境だったため、終電近くに帰ってきて、30分以上歩いて食材を買って自炊などするものか。

その結果、コンビニ飯⇒牛丼屋⇒中華屋⇒コンビニ飯の無限ループとなり、かなり太った。深夜の吉野家で紅生姜と七味唐辛子で真っ赤にして食す牛丼の背徳感よ。小太りのおっさんの誕生である。

 

太らないためには食事の量を減らすしかない。平日は終電で帰り、コンビニで野菜ジュースと肉まん1個を買い、これで野菜、たんぱく質、炭水化物の完全食だとうそぶき、深夜1時に帰路に歩きながらもぐもぐ食べて、帰り着くなり布団をかぶって寝るという生活をやってみた。結果心が明らかにすさんでいった。そして僕は引っ越した。

 

ボロアパートでのすさんだ生活を続けていたら僕もいい歳になっていたので、武蔵小山のマンションに引っ越してみた。環境が一気に整った。

・ある程度広いキッチン、大きなシンク、三口コンロ
・深夜まで開いている駅直結の東急ストア
・自宅から駅までの導線上に地域に根付いた商店街

これだけでも自炊のストレスが大幅に軽減され、結果的に自炊が習慣化した。正直、上記の環境がなければ、いざ自炊をやろうと思っても途中で挫折していただろう。 環境に感謝である。

 

 そして、自炊は続ければ続けるほど環境が整っていく。これはやばい。
どんどんと快適になっていって自炊に関するストレスや障壁が減っていくのだ。

 

・毎日自炊すれば、食材が余っても他で活用できる
 ⇒一品を食い続ける生活から脱却、品数も増える

・調味料は足りなくなったら補充するだけで良い
 ⇒日々の買い物もとても楽!

・料理のレパートリーが増えてきて、腕も上がっていく
 ⇒失敗することが正直無くなってきた

・調味料の種類が増えていき、思いつきで料理ができるようになる
 ⇒和食、洋食、中華など、だいたいの料理はカバーできる

・100均などの調理器具を脱却し、使いやすい調理器具を揃えるようになる
 ⇒びっくりするくらいストレスなく料理できる! 

 

まず環境をちゃんと整えることで、どんどんと自炊が続く良いループを作れるのだ。

自炊しやすい環境がある⇒自炊が続く
⇒環境が整う⇒自炊が続く
⇒上達する⇒メシが美味い!
⇒楽しくなる⇒自炊が続く⇒環境が整う

 

 

そして、料理が楽しくなってくると未知の料理にチャレンジしたくなってくる。自炊のスキルを高めたくなる。最近は、意識してスキルを高めていこうと丸魚を買って捌いている。

魚料理も、切り身を調理するだけであればハードルが低いが、丸魚となると、出刃包丁、柳刃包丁と砥石、ウロコとり、小骨抜きなどの環境整備が必要なのだ。今はそれらがあるので気楽に魚を買って帰ることができる。

 

何かをやり続けるには、ほんの少しのやる気と、ストレスの無い環境を整備するのが大事なんだろうな。

 

 

 

コントロールすること。

自分の身の回りに起きるいろんなことをコントロールするのが好きだ。
というかコントロール出来ている状態が好きだ。

 

勝間式超コントロール思考

勝間式超コントロール思考

 

 ※この本をクリックしたとしても、アフェリエイトをやっていないため、ぼくには一銭も入ってきません。

 

実は僕はこの本を読んでいない。

 

勝間さんのブログを読んでいると、多種多様なガジェットを駆使して、家事やら仕事やら体調やらをロジカルにコントロールされている。しかも異常なほどマニアック&ストイックなのだ。いきなりヴィーガンになってみたり、自宅のキッチンからコンロを撤去して全て自動の調理器で自炊する方法を編み出していたり、自宅からノートパソコンを撤去してタブレットと音声入力のみで仕事をしてみたり、いきなりヴィーガンをやめてみたり、なかなかに変わっていて面白い。というか少し変。この本にはおそらくそんなふうにいろんな工夫をしながら自分の人生をコントロールしていくコツのようなことがつらつらと書いてあるのだろう。なんとなく共感である(本は読んでないけど)

 

先日書いたダイエットのこともそうだが、自分で自分の体調や体重をコントロールできている状態がかなり好きなのだ。自分の身体を使った人体実験に近い。トレーニングについても、日常生活やヨット競技をやっていく上で、思ったとおりに身体が動くことを目的にやっている。

 

ヨット競技についても、自分の手足の延長のように船を操れている時が一番楽しい。常に変化する風や波の状況に対して、1トンを超える船を思い通りにコントロールするのは物凄く難しいが、それが面白いのだ。車の運転だってそうだ。

 

お金についてもできるだけコントロールしたい欲求がある。20代後半くらいのタイミングで、お金に関するリテラシーが低い!お金が溜まっていない!と危機感を持ち、日々の支出をスマホアプリで管理し始めた。途中でスマホ東京湾の奥底に奉納してしまったので2年分のデータが無くなってしまったものの、5年以上にわたって毎月の支出額を管理できている。

また、数年前に思い立って、自分のお金まわりをすべて把握して管理しようと思い、30歳から100歳までの収入の変化、家族構成による支出の変化、想定される年金額、投資による増減などをエクセルでまとめてシミュレーションを作ってみた。毎日の支出をアプリで記録し、毎月の収支をエクセルのシートで管理し、それを年間のシミュレーションに反映させることで精度を高めている。そんな運用をやっていたので、結婚したときも自然と僕が家計を管理する担当になった。我が家の経理担当である。現在丸3年ほど運用しているが、不透明だったお金まわりの状況がきちんとコントロールできるようになって満足である。お金が増えるか減るかというよりも、グラフや表にまとめてコントロールしていることが楽しい。僕も十分変か。

今はマネーツリーやマネーフォワードなどの各種高座や金融資産を一括管理できる便利なアプリがあるが、キャッシュフローの状況を掴むためには自分で作ってみるのが一番だ。

 

仕事でもそうである。自分の思ったとおりに事業が進捗している状況が一番気持ちが良い。そのために細かい数字やデータをチェックするのが結構好きだ。新卒から同じ会社で10年以上働いているが、はたして営業という職種で就職してよかったのかはまったくもって不明である。

 

 

学生向けに就職のお手伝いをする仕事をしているので、学生の自己分析などを手伝ったりする機会も多く、自分の仕事内容やキャリアについても客観的に振り返ったり考えたりすることがあるのだが、僕のモチベーションのひとつは、「自己効力感」というものではないかと思っている。

心理学の用語で「自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できるかという可能性の認知」ということだが、僕の認識としては、どんな状況でも自分が思った通りに身体や頭を動かすことができる、うまくやれる予感といったものだ。

 

この性格というか特性ってどこからきているのだろうか。遺伝なのか、親の育て方なのか、長年銀行員だった父親の影響なのだろうか。

 

逆に、コントロール出来ない事は結構苦手なのかもしれない。

 

ずいぶん昔に、身体がうまく動かせなくなる夢を見た。

おそらく中学校のシーンだろうか、厳しい体育教師に命じられてグラウンドを走って一周しなければいけない状況なのだが、関節に全く力が入らず、かつ足が麻痺したようになって走り出そうとするたびに倒れこんでしまい、一向に前に進まない。他のクラスメイトはスタスタと走っていくのに、自分だけが足が動かずに走ることが出来ない。自分の身体が自分のものではなくなったような感覚。

その夢を見たのはおそらく学生のときだったので10年以上前のことだったはず。しかし今でもその夢の中で感じた絶望と、足が不自由な感覚が残っている。

また、自動車やバイクを運転していて、ブレーキが効かなくなったり、アクセルが戻せなる悪夢は何度も見ており、かなりの不快感で目が覚めることがある。

 

そういった夢を見ていた時にはそう思わなかったが、本能的にコントロールできていないことに恐怖を感じているのかもしれない。なんというか根源的な恐怖だ。

 

 

だからどうという事は無いが、勝間さんのブログを見ていて思いついたので書いてみた。