先日の記事にも書いたが、先週の土日に参加した東京湾インショアレガッタだが、久々にエキサイティングなレースができた。
レース展開が楽しかったのもあるが、チームメンバーのコンビネーションも上手くいっており、皆で声を掛け合いながら走らせることができたのが大きい。いい雰囲気だったように思う。
僕個人としても、大型艇とのシビアな駆け引きに久々にアドレナリンが出ていた気がする。僕らが乗るキールボート(中型~大型のヨット)のヘルムスマン(舵とりの役目)は、舵を持って艇のスピードと針路を細かくコントロールしつつ、 周囲を見渡してコースや戦略を考えてクルーに指示を出したりとかなり忙しい。集中と広い視野を常に両立させないといけないのだが、今回のレースでは常に頭がフル回転してやれていた実感があった。初日に3レースやってかなり疲れたが、心地よい疲れであった。
久々に楽しいレースをやってみて思ったのだが、普段、僕の生活の中で、そういった刺激がかなり減ってきているように感じるのだ。
・緊張と興奮が入り混じりつつゲームやレースに熱中すること
・頭と体の持てる能力をいっぱいに使って動けている実感を持つこと(自己効力感?)
・チームで協力して一つの目標に向かって走ること
こういった刺激を自分から受けてきてなかったなと反省。ヨットレースについては毎年続けているが、なんとなく惰性になっており勝ち負けにこだわり切れてなかったかもしれない。
趣味のヨットレースだけではなく、仕事も普段の生活全般でもそういった刺激に鈍感になってきている。
ひとつは年齢的なものだろう。勝ちたい、負けたくない、これが欲しい、あれをやりたい、何が好きだ、何が嫌いだなどと、20代の前半くらいまでは何か刺激を受けるたびにもっと劇的に心と体が動かされていた。過剰に反応しては失敗したり痛い目を見たりしてきたこともたくさんある。大人になったということなのかもしれないが、なんとなくそんな興味や欲求がここ数年減退してきているように感じる。
また、スマホの影響もあるのかもな、と思ってたりする。常にスマホを持ち歩いており、少しでも時間があけばスマホの小さな画面からもたらされる弱い娯楽の刺激にさらされ続けている。一人でぼんやりすればよい時にもついついスマホを取り出してロックを解除し、時間をつぶせるアプリを開いてしまう。ただそこには誰かのつぶやきや、広告目当てに誰ががまとめた小さなちいさな娯楽が並んでいるだけで、何かアクションにつながるものはほとんどない。
微弱な刺激をずっと受け続けているうちに、なんとなくアンテナが摩耗してしまったように感じるのだ。
その他にも、昨年娘が生まれて、子育てが始まったことと、コロナの自粛期間もあり、人と出会う機会や週末に遊んで刺激を受ける機会が激減したのもあるかもしれない。コロナの時代であってもオンラインでいろんなイベントやセミナー、勉強会など刺激を受ける機会はたくさんあるが、そこに子育てと興味の減退がダブルで掛かってきて、なんとなく新しい出会いや情報のアンテナが立たない状態になっているようだ。
まだまだ30代中盤であり、子育てもこれからが本番、仕事も責任ある立場を任されていてこの状態では本当にもったいない。人生100年時代で最低でも80まで生きるとしてもあと55年近く残されているのだ。まだまだ興味のアンテナを高く掲げ、アドレナリンを出しつつ生きていかねば。でないと生けるしかばねではないか。
ここは世の中のお父さん方はどうなのだろうか。先輩パパ達に相談してみようかな。
そんなことを考えつつ、ネットの海に漂う弱い刺激を眺めていたら、以下のようなツイートがあった。
死にたくなったらまず寝ろという恩師の台詞も正解だったけど、死にそうなほど退屈したら、カメラを持って街を歩け、と教えてくれた先輩の台詞も忘れられない。外の世界に対する感度を意識的にでもいいから自力で引き上げて感性を守った方がいいと教えてくれた。この感性の自衛の考え方がすごく好きだ。
— F (@No_001_Bxtxh) 2017年3月6日
外の世界に対する感度を意識的にでもいいから自力で引き上げて感性を守ると。 圧倒的に正しいな。
娘を見ていると、生まれてしばらくは何もわからずただ世界を眺めるだけだったのが、1歳が近くなってきて興味や好みが出てきており、その衝動にひらすら一生懸命に生きているのが伝わってくる。全身で欲しがり、全身で拒絶し、全身で喜び、全身で悲しむ。今朝も離乳食を食べさせる際、娘の欲しいタイミングに合わなかったのか全身で拒絶されてつらみだったのだが、それもよいのだ。
僕も子育てという新しい刺激を始めたばかりだ。成長する娘に大いに刺激を受けつつ、自分の感度も引き上げていこう。
先日のヨットレースからそんなことを考えていた。