太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

服装について気にしなくなってきた。

いつの間にか、適当な恰好で外出することにそこまで抵抗が無くなった。

 

日曜日の朝、ヨットレースのために東京駅から舞浜駅に向かう京葉線に乗っていたのだが、舞浜駅といえばディズニーランドの玄関口。完全にハレの場である。次々と着飾った若い女の子のグループや、学生、家族連れがニコニコしながら乗り込んできて、あっという間に電車がいっぱいになる。ディズニーグッズで身を固めた人、デートに精一杯のお洒落をして臨む人、皆様思い思いの格好をしており、なんだか皆さまウキウキと楽しそうである。

 

そんな中で、ぼくは海用の着替えを詰め込んだグレゴリーの四角くてデカいバッグを持ち、履き古したジーンズに無印のグレーのシャツを着て、いたって地味な恰好で座っていた。楽しそうな他の乗客に比べ、なんとなく場違いな感じである。

ぼんやりと他の乗客を眺めながら、そういえば最近、服装についてあんまり考えなくなってきたなーと思ったのだ。

 

昔から服は好きで、革靴やブーツが病的に好きだったので、それらに合うようなシャツやジャケットなど、比較的きれい目な服装をすることが多かった。ベルトと靴の色を合わせる、季節感にあった素材の服を着る、どこかに差し色を入れる、シルエットにあった服を着るなど、ちょっと外出する際でもちゃんとチェックして服装を決めていた。

仕事の際も、憧れていた役員の影響で、オーダースーツを着て、シャツかネクタイに色を合わせたポケットチーフを差し、磨いた革靴を履いて会社に行っていた。今考えるとちょっと気合いれすぎで若干痛い感じもあるな。

 

ただ、この2年くらいはなんとなく服装に関する熱が冷めてしまっており、極端に変だったり不潔だったりみっともなくなければ良いかなという感じになってきている。さすがにヨレヨレのTシャツにジャージで外出することは無いが、ジーンズに無地のTシャツにサンダルかスニーカーみたいなシンプルな服装ばかりになってきた。

 

これがおじさんになってきたということか。なぜこの数年で変わってしまったのだろうか。

 

子育てを始めたというのは大きい。どんなに着飾ったところで、子供を抱っこして公園に行くくらいなのであまり意味がない。動きやすくて洗濯しやすいのが一番。ユニクロ最高。無印最高。アウトドアブランド最高である。

 

また、コロナでこの2年間外出が減ったということもある。いい服を買っても着ていく場所がないのだ。ちょっとした恰好をしてレストランに行くみたいなことが一切なくなった。休日に友人と会うことも極端に減ったため、家族か近所に住んでいる奥さんの両親、姉家族くらいとしか会っていない。そうなると、別に自分をお洒落に見せようなどとは思わなくなってくる。

 

また、年齢を重ねていく中で、服装や個人個人のスタイルについて寛容になってきたというのもあるような気がする。

 

以前は自分の中で服装に関するルールや良し悪しのようなものがあり、なんとなく70点くらいはクリアした格好をしていたいと思っていたのだが、今は別にルールを多少破っていようとも、多少だらしなくて30点40点だとしても、それがその人のスタイルであればそれで良いじゃないかと思うようになってきた。相手を不快にしないくらいであれば、そこまで服装に気を遣わないというスタイルなのだ。そういった人を見ていると、その人のキャラクターに対して、気を遣わない程度がまたマッチしていてスタイルだなーと思ったりもする。

 

生活の中で服装に重きを置く人もいれば、そうでないものに重きを置く人もいる。そんな簡単なことに対して、ようやくわかってきたようなそんな感じである。