太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

コーチの訃報を受けて。

土曜日の昼に高校時代の友人より訃報を受けた。

高校からヨット部に入っていたのだが、その際にお世話になっていたコーチが亡くなったとのことだった。しばらくご病気だったらしいが、まだ50歳ちょっとのはずなので、大変驚いた。

 

 

その方は日本人で初めて、オリンピックのヨット競技でメダルを取得した方で、バルセロナアトランタシドニーと三大会連続出場し、オリンピックの第一線を退いた後も、ヨットハーバーの職員として学生を指導しながら、いろいろな艇種で国体や世界大会を目指して活動するなど、日本のヨット界を牽引してきた伝説的なセーラーだった。

 

見た目は150センチくらいの非常に小柄なおばちゃんといった感じなのだが、眼光鋭く、海の上では高校生たちに檄を飛ばしていたことを思い出す。

僕は高校時代は本当にぱっとしない選手で、常に補欠のような存在だったため、直接指導を受けるチャンスは数えるほどしかなかったが、今でも覚えていることがある。

 

日々、真面目に練習はしているものの、どうにもぱっとせず、レースでも結果を残せなかった僕に対して、ヨットはセンスで走らせるものだから、センスを磨くために色々な船に乗りなさいと言ってくれたのだ。そういって、そのコーチが昔乗っていたという、木造の一人乗りの船を貸してくれたのだ。

高校時代はずっと2人乗りのヨットに乗ってインターハイを目指していたのだが、僕は一緒に乗っていたペアとどうにも相性が悪く、レース中も意見が割れてずっとイライラして集中できなかったり、ミスも多くて順位も安定しないような状態だった。それもあって、一人で集中して乗れるような環境を作ってくれたのかもしれない。

 

その木造の艇はモス級といって、非常に軽くて不安定だが、うまく操ることができれば非常にスピードが出るピーキーな艇種だった。(余談だが、今はその艇種も進化して、水中翼がついて水面から浮き上がって時速70キロ近くで走るようになっている)

 

当然、センスの無い僕はまったく乗りこなせずに、ひたすらひっくり返っては起こしてというのを繰り返しているような感じで、1週間ほど練習していた。

ヨットというスポーツは、ひっくり返ってしまうことを「沈(チン)」と呼び、強風や高波の際や、乗り手のバランスで簡単にひっくり返ってしまうもので、沈したとしても、海の上で引き起こすこともできるのだ。

 

一生懸命に練習したのだが、その1週間でセンスを磨けるほどの才能も持ち合わせておらず、海の上を疾走しているよりもひっくり返って波間を漂っている方が長いくらいで特訓期間は終わってしまった。コーチもセンスの欠片を見せない僕に対して、あえて声をかけることはしなかったが、なんだかなーという感じで見ていたのかもしれない。

 

僕のいたヨットクラブはオリンピックメダリストのコーチがいることからもわかるように、日本のトップ選手の養成所のようなところで、インターハイや国体で何人ものチャンピオンを輩出しているような環境だった。練習もハードで、高校が海のそばだったこともあり、夏でも冬でも毎日放課後は海に出ており、休日は早朝から日暮れまで練習、年間で正月の一日とテスト期間しか休みが無いような部活だった。

そんな環境に対してなんとか食らい付こうと居残りでトレーニングしたり、自分なりの練習の振り返りを日々ノートに書いていくなど努力したものの、結局これといった成績も残せず、高校三年生のインターハイ予選で敗退し、僕はそのまま夏に引退となってしまった。

 

正直、自分にはセンスの片鱗も見えなかったし、あまりにスパルタンな部活だったので、高校でヨットは終えて大学生活をエンジョイしようと思っていたのだが、何の因果か大学でもヨット部に入り4年間競技を続け、その縁で社会人になっても続けており、もはや20年近い趣味となっている。

 

今は2つのチームに所属して、6人乗りのクルーザーと2人乗りのヨットで大会にも出ているのだが、今になってあのコーチの言っていた感覚やセンスの大事さというものがわかる。

艇によって癖が違うし、艇がどのように動こうとしているかを感じ取れないと、抵抗なくスピードに乗せていることはできない。ヨットというスポーツは、風というエネルギーの入力に対して、艇の重さ、水の流れ、波のあたり方などの抵抗を受けながら、スピードという出力にいかにロスなく繋げていくかという点が非常に大事になってくる。かつ、それを頭を使わずに半分自動的にやりながら、頭は他の艇との位置関係やルールをつかった戦術を考えなきゃいけないというなかなかハードなものなのだ。

センスという簡単な言葉でくくるのは難しいが、それをヨットを始めて1年~2年でやれるようになる選手もいれば、僕みたいに10年近くかかる選手もいるのだ。

 

当時はまったく気づかなかったが、いろんな船に乗ってみなさいといってくれたコーチの意図が今はちゃんと理解できる。

 

本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。