太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

改行と一人称に関する試行錯誤。

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気づけばこの雑文も50記事である。

特に意識せずに思いついたことを書き連ねているが、結構続くものだ。

 

最近、試行錯誤していることがある。改行の場所と一人称についてだ。

 

インターネット上で読みやすい文章を書く際に、
改行の位置というのは結構重要なものではないかと思い、
いろいろと試している

 

改行の場所については、短すぎるとポエムっぽくなってしまう。
メンがヘラっているブログにありそうな感じだ。

 

文章の途中で

改行してぃくってのゎ

リズムが崩れてしまぅので

よくないょ。。。。

(ギャル特有のこの小文字文化はどこからきたのだろうか)

 

あえてリズムを作るために

改行を多発しているケースもあると思うので

一概には言えないが。

 

もしくは・・・・

アイドルやタレントがやっている

小遣いかせぎのアメブロみたいだ。

それも仕事、契約なのだろう

 

毎日の出来事を

水で薄めて

世の中に出すおしごと。

大変ですね。

 

 

ただ、改行をせずにそのまま書き連ねていくというのも、文章量が多くなってくると、画面が黒いというか、文字が詰まってしまい、スマホの小さい画面で見るにはちょっと見づらくなってしまうような気がする。文庫本は9ポイントの小さな活字が1ページに600~700文字入っているそうで、文庫本をメインに読んでいた際は、特にそれを小さくて見づらいというようなことは無かった。しかし、現代は文庫本よりもスマートフォンで縦スクロールしながら散文を読むようなケースが激増しており、一度に目に入れて理解できる文章量としては明らかに減っているように感じる。要は慣れの問題なのだが、以前の岩波文庫のように7.5ポイントの細かい文字がびっしり詰まっているような文章はだんだんと敬遠されるようになってきたようだ。世の中は少しずつ便利に楽になっていく。

しかしその便利に楽になっていく反面。200万年かけて進化してきた人間の身体のデザインはデスクワーク、運動不足、スマホの小さい画面に長時間集中することなど、ここ数十年で急激に変化する生活にダメージを受け続けているのもこれ事実ではある。動き回るよりも机に座っているほうが便利で楽ではあるとは思うが、便利で楽なのと身体的に安定している姿勢かどうかは別問題なのだ。こういったまったく関係の無い文章を長々と羅列するのは嫌いではない。しかし見やすいかというとそうではないだろうし、インターネットにおいてはあまり好まれない文章のスタイルであろうなと思う。(こういった文章で人気になっているサイトもある)

 

また、改行を使いつつも、文章を分ける改行と、
文字間隔を詰めた改行を使い分けてやるやり方もあるだろう。
この段落は文字間隔を詰めた改行を使っている。
上記のポエム風は、通常の文章を分ける改行を使っている。

 

 ある程度書いてきて思うのは、日本語の基本的な記述法である「段落」ってのは便利な考え方だなということだ。ある程度同じ内容を記載する際は、複数の文が続くとしても、改行をいれずに同じ段落の中にまとめておいたほうが読みやすい。例えばこんな感じで、思考のリズムを途切れさせずに進めていくことができる。

 

ただ、別の視点を与えるときや、文章にリズムを付けたいときには、
あえて改行して空欄を空けたほうが良いときもある。

 

文章が続いている場合は、基本的には文中で改行を入れないほうが良い。
一文が長すぎる場合は、どこかで分けて書くほうが良い。

 

そんなことを考えながら思い出したのだが、以前糸井重里さんが、インターネットに書く文体って本の文体とは違うものだという話をしていた気がする。

糸井さんが「ほぼ日」をスタートして以来ずっと「今日のダーリン」というコラムのようなエッセイを冒頭に書いている。

www.1101.com

 

その文章が、文字の折り返しが出ないように細かく改行されており、かつ難しい表現や漢字は極力使わず、口語に限りなく近い文語で、インターネットに最適化されたひとつの完成形のような気がするのだ。

 

インターネットの文章はほとんどが横書きであり、
1文を短くして、改行が多めのほうが読みやすい。
媒体の特性を生かして文章を作り上げる
コピーライター独自の視点でつくられた文体なのだろう。

 

 

もうひとつ悩んでいるのが、一人称のことだ。
自分のことを「俺」と呼ぶのか、「僕」と呼ぶのか。
俺、おれ、僕、ぼく、ボク、私、わたし、アタシ、自分・・・・
文章の内容で使い分けても良いのだろうが、毎回考えてしまう。

 

 

これについては、ライターという文章を書くプロであり、ライターのプロダクションを経営されている、古賀史健さんの文章が非常に参考になる。

 

note.mu

 

いずれにせよ「私」や「わたし」、「ぼく」や「おれ」の主語を選択するときは、これから自分がどんな嘘をつこうとしているのか、そこで何者を演じようとしているのか、もっともっと自覚的になるべきだと思います。

 

要は、どんな仮面を被ろうとしているのかをちゃんと意識して、
その仮面にあった一人称を使いなさいということだろう。
50記事ほど書いてきて、ぼんやりとキャラクターが出来てきた印象としては、
基本は僕でよいのかなと思っている。
そして内容によって俺を使い分けるくらいでよいのだろう。

 

 

日々、そんなことを考えながら文章を書いている。暇なのかな。