太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

東京と均一化された地方の違いをサイゼリアで飲みながら考えた。

前回の投稿で、土曜昼のサイゼリアに行ったことを書いたが、一人でワインを飲みつつ、ぼんやりと考えていたことがあるのでアウトプットしてみる。

 

laughunderthesun.hatenablog.com

 

週末のお昼、子供も大人も大好きなイタリアン中心のファミレス、驚くほどの低価格、そして地元密着のショッピングセンターに併設された店舗ということもあり、小さいお子さんのいる家族連れや、ママ同士らしい女子会、ママではなさそうな女子ランチ、学生グループなどで非常に混みあっていた。

 

昼間っから一人で酒を飲んでいる自分が言うのも駄目かもしれないが、周囲で食事している人達を眺めていて、なんとなく似たような客層が集まっているなと感じていた。

 

例えば、斜め前のボックス席に座っていた家族。30代半ばくらいの夫婦に小学生くらいの子供、3、4歳くらいの子供の4人家族。親はちょっと粗暴な感じの言葉遣いでダルだるのスウェットにジーパン姿。子供は食事中もずっとゲーム機に夢中で、小さい子はパタパタ走り回ったりギャン泣きしたりと何かと騒がしい。

目の前のテーブルの客は30歳前後くらいの女性2人。独身なのかな?かなりふくよかな体型で、それを気にすることなくモリモリとパスタやらドリアやらを食べている。伸びたセーターにパサついた茶髪で身だしなみにはあまり興味がない様子。

隣の席は70歳くらいの母と40代の娘だろうか、ひたすらテレビの話題や身近な人への愚痴のような話をしながらパスタを食べていた。

 

こうやって書くと、客層が悪いように見えてしまうかもしれないが、安い店だし、ショッピングセンターに併設されている店舗なので、普段着で気楽に昼飯を食べていること自体は全く持って問題無い。子供連れが多い店だということも承知の上で来店しているので、子供が多少ギャン泣きしようが全くもって問題ない。子供がこちらを向いた際には変顔してあげる余裕だってある。静かで落ち着いた雰囲気を求めるのであれば休日にサイゼリアに来店した僕のほうが間違っている。

むしろ、昼間っから一人で酒を飲んでいる30代男性のほうが、景観、治安的にはご迷惑をお掛けしている。静かに鶏肉を食っているだけなので許してほしい。普段は真面目に仕事をしているはずだ。

 

ただ、サイゼリアの喧騒の中で一人飲みながら、東京をはじめとした一部の大都市圏に住む人達と、それ以外の大多数の地域の人達の違いみたいなものを感じてしまったのだ。

別に自分が都会に住んでいるから選民意識でそんなことを言っているわけでは無いし、僕自身、佐賀県の片田舎に生まれて、大学も野犬が出るような田舎で暮らして、就職で上京してきた組なので基本的にはお上りさんである。

それでも、これまで10年以上東京で暮らしてきて、昨年から横浜郊外の街に引っ越して、なんとなく感じていた雰囲気の違いや、そこで暮らす人々の違いが休日のサイゼリアで繋がった感じがしたのだ。

 

 

東京や一部の大都市の限られた文化圏で暮らす人々がいる一方、その他の地域の人々の生活様式や文化が、日本中で均一化されていっているような感じがある。郊外型の暮らしというか、均一化された地方の暮らしというか、そんなイメージだ。

 

例えば、若い家族連れであればこんな感じ。国産のミニバンやそれを模したデザインの軽自動車に乗り、服装にはそこまで気を使わず、週末となればイオンモールに家族で出かけ、外食は回転寿司かファミレスへ行く。地元の友人とは親しく付き合っており、たまに集まってバーベキューをやるような関係性を続けている。

 

僕は日本中の都道府県をレンタカーやバイクで巡ったことがあるのだが、国道沿いの風景は本当にどこも似通っている。デカいイオンモールオートバックスUNIQLO吉野家、ネットカフェ、ファミレス、ガソリンスタンド、リピートされた映像のように延々と知っている店が続いていく。

マクロの視点で見ると地方地方で気候も地形も違うのに、走っている道路の両側は驚くほど均一化されているのだ。

 

しかも娯楽も均一化されたものが提供されている。キー局から配信される全国放送のテレビ番組、ゲーム機のハードソフト、ソーシャルゲーム、パチンコなどなど。

 

街並みや娯楽などの環境が均一化された家族や文化を生み出すのか、均一化された人たちのニーズが均一化された街並みを作るのか、ニワトリが先かタマゴが先かは不明だが、その流れはどんどんと加速しているように感じる。

 

以前日経ビジネス東洋経済で読んだ記事で興味深かったのだが、とあるカーナビメーカーは、ミニバンを買う若い家族を明確なターゲットにしており、ドンキホーテUNIQLOマクドナルド、オートバックス、回転寿司チェーンなどのチェーン店をボタン一つで目的地に設定できるようにしているそうだ。ターゲットのミニバンユーザーからは使い勝手が良いと評判で、車を買い替えたとしてもリピート率は非常に高いそうである。

ビジネス的には選択と集中で成功しているのだろうが、そこまで均一化するニーズというのも怖いものだ。

 

 

そうやって日本中のあらゆる地方が均一化していく一方、東京や一部の大都市部は違った文化圏を保ち続けているようにも感じる。気になって少し検索してみたら、以下のようなレポートが出てきた。

 

about.yahoo.co.jp

 

ビックデータを用いて分析してみると、日本は東京とそれ以外にきっぱり分けられるという。

 

・圧倒的な電車社会の東京と、クルマ社会の地方

・インターネットを活用して情報を集める東京と、サイト閲覧やアプリ、ゲームなどを通じてインターネットを利用しているが、主体的に検索することは少ない地方

・ITや勉強などの新しい話題に明確に関心の高い東京と、そこまで高くない地方

 

もちろん、地方にも情報感度、アンテナが高く、日々インターネットで検索し、電車を毎日利用している人もたくさんいるはずだが、統計的にみると明らかに差がある。そしてその差はどんどんと広がっているような気がする。新しい情報を得て変化していく層と、変化が乏しく均一化された層に分かれているとすると、この平成の30年間でそれがより顕著に二極化してきたのだろう。

 

そしてもうひとつ気付いたのが、東京や一部の大都市部の文化圏というのは結構狭いということだ。これまで東京の杉並区で8年、目黒区で3年暮らして、横浜から電車で10分ほどの街に引越してきたのだが、ここはもう東京の文化圏ではない気がする。新宿、渋谷、銀座などに1時間もかからずに行くことができ、毎日都内まで通勤している人も多いはずだが、これまで暮らしてきた街とは違う、均一化された郊外、地方の暮らしがある。

 

今僕は奥さんの実家の近くのマンションに住んでいるので、奥さんは地元の学校を出て、地元で就職して、少しだけ目黒で僕と暮らして、また地元に戻ったことになる。小学校からの友人グループ、高校の部活の友人、短大時代の友人など、ほとんど地元に固まっていて、たまにランチに行っている。通勤圏内ではあるが、都内に働きに出ている人は多くないそうだ。地元中心の社会だ。

 

ただ、この街も少しづつ変わってきているらしい。都内のマンション価格の暴騰の影響で、横浜郊外のこの街にも新築マンションが雨後のタケノコのように次々に建設されて売り出されている。そこに住むのはおそらく東京近辺で賃貸暮らしをしていた地方出身者だろう。均一化された地方の暮らしから抜け出したいと願って大学進学か就職を機に上京し、5年から10年の東京の暮らしを経て、郊外に手の届く範囲の新築マンションを購入する。

そういった家族がこの街の雰囲気を少しずつ変えていくのか、それともこの街の均一化された雰囲気に次第に慣れて、情報感度を失って変わっていくのか興味深い。ただ、家族構成の変化やライフスタイルの変化、加齢による新しいものに対する感度の低下を考えると、後者が強いような気もする。

他人事のように書いているが、僕自身もまさにその当事者なのだ。比較的情報感度が高いような気がしていても、いつの間にか均一化された生活に飲み込まれているのかもしれない。

 

どちらが良いとか悪いとかではなく、そんな違いがあるなとサイゼリアで考えていたのだ。