太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

ようこそ我が家へ。

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この雑文について、プライベートをどこまで書くのかちょっと考えたりする。

 

まあ特に誰が読んでいるとも知れず、インターネットの大海の中のミジンコの爪の垢のようなブログなので特段気にすることでもないのかもしれない。ましてや、ほとんど週末どこに行っただの何を作って食っただのと、ほぼ自分しか興味のないことしか書いていないので、これがプライベートでなくて何なのだとも思ったりする。

 

しかし、もともと「何年後何十年後に、こんな事もあったなぁと思い出すため」と、「自分の感じたことをアウトプットするためのチラシの裏」として書いているので、ちゃんと思ったことや感じたことを書こうと思う。

 

 

 

先日、娘が生まれた。

 

 

つい先日の記事で奥さんが妊娠していることを書いたが、今月末ごろの予定日より2週間ほど早く生まれてきたのだ。そろそろお酒も控えなきゃなとか、休みに入る前に仕事の引き継ぎの準備を進めようかなとか思っていた矢先のことであった。

 

平日の早朝にちょっとした徴候のようなものがあり、そのまま会社を休んで朝6時から病院に連れて行った。朝一番に診察してもらうと、あれよあれよと言う間に弱い陣痛が来てそのまま入院が決定。ただ、初産なので進捗はゆっくりで、そのままの状態で夜になってしまった。

助産師さんから「おそらく今日の出産は無いかもしれないので、旦那さんは一度家に戻って仮眠したほうが良いですよ」と言われ、明日も長丁場になる可能性もあるため一旦病院を出ることにした。

 

病院の裏口を出て空を見上げると、薄曇りに満月が煌々と輝いていた。外がうすぼんやりと明るく照らされている。

 

満月の夜はお産が多いと聞く。月が赤ん坊を呼んでるのかな、女性の身体ってのは神秘的だな~などと考えていると、急に目の前に一匹のタヌキが現れた。タヌキは光る眼でこちらを一瞥し、トコトコと走って横切っていった。住宅街にある病院なのだが、この辺りでタヌキなんて初めて見た。何かを暗示してるのかは分からないが、驚き半分、不思議な気持ち半分で自宅に戻った。

 

自宅に戻って1時間ほど仮眠していたところ、奥さんから電話をもらい飛び起きる。急いで車で病院へ向かう。

 

僕が病院に到着したら奥さんはすでに分娩台にあがっており、そこから30分程で無事出産となった。奥さんはこれまでに見たことがないくらい苦しそうで、僕はおろおろすることしかできなかったが、助産師さん曰く非常に安産だったらしい。良かった。

 

僕ら夫婦のもとにやってきてくれた新しい命は、そのちいさな体を震わせて、顔を真っ赤にして産声を上げていた。出産という命懸けの仕事を終えた奥さんは顔をくしゃくしゃにして泣き笑いのような表情をしている。

僕は何もできずただうろたえつつ、世界が変わってく瞬間を目の前にして、じわじわと静かに感動していた。

 

 

 

今週の月曜日が奥さんと子供の退院だったので、土日で必要なものを買いに行ったり、部屋を片付けたり、小さな布団を天日干ししたりと一人で退院の準備をしていた。

 

我が家は、引越しの際に子供ができた時のことを考慮し、奥さんの実家のすぐそばにできた新築マンションに賃貸で住んでいる。そこまで長くは住まないと思って50平米くらいの小さな部屋だ。

これまで1年半ほど僕と奥さんの2人で暮らしていた小さな部屋に、か弱い小さな命がやってきて、一緒に生活を作っていくんだと思うとなんだかわくわくするような、期待に震えるような変な気持ちだった。

 

 

 

そして今、通常どおりに復帰し朝から晩まで仕事をしているわけだが、朝起きたら小さな布団で寝息を立てている小さな赤ちゃんがいる。どんな夢を見ているのか、短い手をパタパタと振ったりしている。帰ったら奥さんのおっぱいを飲んでいる小さな赤ちゃんがいる。なんだか僕自身が夢の中に入ったみたいだ。寝るか泣くかおっぱいを飲むかしかできない小さな生き物だが、早速僕ら夫婦や、手伝いに来ていただいているお義母さんを魅了している。

 

この数日の変化と、小さな娘の存在そのものに僕は感動している。生活はバタバタしているが、暮らしの彩度がぐっと上がったような気がする。

 

奥さんはこの1週間ですっかり母の顔となった。お母さんの口調で小さな娘に話しかけている。僕はまだ完全に父としての自覚がわいたとは言えないかもしれない。ただ、この小さくてか弱い存在を守り育てることが自分の生活そのものなのだという実感がふつふつと湧いてきている。

 

娘よ。ようこそ我が家へ。