先日、我が子が生後一か月を迎えた。小さめで生まれたのだが、一か月で体重も1.5倍ほどにしっかり成長してくれていた。生まれてきてくれただけで感謝であるが、その上健康に育ってくれていてめでたい限りである。
生まれたばかりの写真を見返してみると、我が子があまりに小さくてびっくりする。子供が生まれ、生活が一変して衝撃を受けていたのだが、その衝撃が日常となり、我が子の印象がどんどんアップデートされていくと、忘れてしまうことも多いのだろう。
あとあと思い出せるように、生後一か月の我が子の変化を残しておこう。
まず、この一か月でだいぶふっくらと太ってきた。生まれたばかりのころは手足も細く、顔もしわくちゃでなんだかお猿みたいな感じだったのだが、ほっぺたも丸く、手足にもしっかり脂肪がついてあかちゃんらしい体型になってきたようだ。
妊娠中の胎児は、9か月までで身体の機能が完成し、最後は出産に向けて脂肪をしっかり蓄えて大きくなる期間らしいのだが、うちの娘は2週間くらい早めに生まれてきたので、やせ型だったのだろう。そのぶん、生まれてからは良く寝てよく飲み、しっかり体重を増やしてくれている。
身体が成長するにつれて、鳴き声も力強くなってきた。以前はか細くふぇぇぇと泣いていたのだが、今は「オンギャー!!オンギャー!!」と全力で不快をアピールするようになっている。大変だが頼もしい。
また、脳や神経もしっかり成長してくれているようで、抱っこした際やミルクをあげている際など、ぼくや奥さんの顔をしっかり見つめてくれるようになってきた。生まれたてはほとんど視力がないそうだが、だんだんと視力もついてきて、親の顔もぼんやりと認識するようになってきたのだろう。ベビー布団の枕もとに熊のぬいぐるみを2つ置いているのだが、起きている時などは熊たちの顔をじっと眺めていたりする。彼女にとって初めてできたともだちなのかもしれない。
また、膝の上に抱えて、僕の顔やおもちゃを左右に動かしたりすると、首を動かしてちゃんと目で追うようになってきた。ほんの少しではあるが、コミュニケーションが取れてきたような感じで嬉しいものだ。
また、ぼく自身にも少し変化が起きてきた。
これまで人の子ども相手には使っていなかったあかちゃん言葉が自然と出るようになってきたのだ。
ぼくはもともとこどもが好きなので、友人の子どもや甥っ子姪っ子などとたまに遊んだりあやしたりしていたのだが、何歳の子どもであってもあかちゃん言葉を使わずに接するのをある種のポリシーとしていた。何のためのポリシーだという感じだが、何となく、子ども相手であっても一人の人格なので、過度な子供あつかいはしないほうが良いんじゃないかなと思っていたのだ。
それが、自分の子どもとなると、ナチュラルに赤ちゃん言葉で話しかけてしまうのだ。これが父性なのか。
おそらく、これまで人の子どもたちと接する際に、ナチュラルにかわいいからとか父性で接していたというよりも、ぼくも子供たちと遊ぶのが楽しく癒されるので、お互いに与えて与えられる対等な立場で接していたのだろう。
それが自分の子どもとなると、プリミティブに可愛いのはもちろんのこと、自分が無条件に与えなければ育てなければという責任感も生まれてきており、関係が対等でなくなっているのかもしれない。
その関係性もいつかは対等になり、老いては子に従うことになるかもしれないが、我が子にもう少し人格のようなものが生まれてくるまでは、あかちゃん言葉で話しかけ続けるのだろうな。
我が子が生まれて一か月。我が子とぼくの変化。