太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

生活様式が変わり、衛生感覚が変わっていくこと。

ここ最近、通勤時間に読む本が切れており、AmazonPrimeで『千鳥の相席食堂』を観ているのだが、このコロナ禍で作中のシチュエーションに違和感を感じることが多くなってきた。(作品自体は非常に面白いので、電車に乗っている最中など、マスクの下では笑いをかみ殺しながら観ている)

 

あまりロケ慣れしていない旬を過ぎた芸能人にロケに出てもらい、地元の人と相席をしてもらい、その不慣れな様や、一般人と交流する中での違和感などに対してスタジオの千鳥がツッコんでいくというロケ番組である。

 

今、2019年放送のシーズンを視聴しているのだが、コロナ前の世界なので、当然のことながらほとんど誰もマスクをしていないし、居酒屋で笑いながらお酒を飲むし、顔を近づけて話をしたりしている。

ただ、それに対して、「あっ、マスクをしてない!」「居酒屋であんなに騒いで・・・」などと無意識のうちに考えてしまうのだ。

 

先に伝えておくと、僕はコロナ警察みたいな存在にはなりたくないなと思っている。もともと、コロナの予防や感染拡大防止に関してそこまで厳格な立場ではなく、ある程度皆が自制しつつも経済優先で合理的に行きましょうという考え方である。

 

そこまでマスクや消毒など必死になって予防するタイプでもない。人がいない場所ならマスクは不要だし、別に一人で黙って食事するだけなら飲食店も利用すればよいというくらいの立場である。別に電車でマスクをしていない人がいたとしても注意しようとは考えないし、それぞれがそれぞれの考え方と、配慮の上で生活していくしかないと思っている。

 

なのに、この1年弱ですっかり生活様式が変容してしまったせいか、コロナ以前のVTRを観て違和感を感じるほどになってしまっているのだ。たった1年間でここまで変わるのかと驚いている。

 

・人と会う際はマスクをつけるのがマナー(ほぼルール化しているかも)
・密を避ける
・飲食店などは複数人数では極力利用せず、会話も控える
・店に入る時は手を消毒、店から出る時も手を消毒

こういった生活習慣が一般化してきて、まだ8か月くらいではないか。ただ、それが生活にしっかりと根付いているのがなんだか凄いなと思ってしまうのだ。

 

もちろん、こういった生活習慣ができたおかげで、インフルエンザは激減しているし、その他感染症や風邪などにかかる人は激減しているようで、プラスの面はもちろんある。コロナだっていつかは収束に向かうのだろう。明けない夜は無い。

 

ただ、この違和感や、感覚の変化が後々大きな問題につながっていかないかという恐怖が少しある。コロナウィルスという見えないものへの恐怖は、いわゆる「バイキン」や「気持ち悪い」という衛生感覚や快、不快の感覚に繋がっているはずだ。それは理性的な判断というよりは、禁忌や忌避の感覚に近い。

 

衛生感覚は人間にとって生存のために必要な大事な感覚だが、それが人によって鈍感だったり鋭敏だったりするのが普通である。例えば、外出してシャワーを浴びずに寝るのが平気な人もいれば、帰ってきてすぐに服を丸々着替えないと安心できない人もいるだろう。そしてその感覚はそんなに明確にいきなり変化するものではなく、鈍感は人はずっと鈍感だし、敏感な人はずっと敏感なことが多かったように思う。

 

それが、今回のコロナ禍でマスク着用や人と近づいて話さない、何かするたびに消毒するなどの行動が半分ルールのように徹底されてしまうと、人の衛生感覚が1年ほどで大きく変わってしまわないだろうか。そして、その行動はマナーとして今後も残り続けるだろう。コロナはある程度収束したとしても、マスクはつけましょうというマナーが残ってしまうような気がする。

その期間に多感な時期を過ごした子供たちにとっては、人生に大きく影響を与えてしまうんじゃないかという気がするのだ。ぼくも親なので、娘が小学校に上がるくらいになってもこの生活様式が続いているとなると、なんとなく怖いなと思ってしまうのだ。

 

だから今すぐにマスクを外せ!と言いたいわけでもないし、現状の予防策として人と会う場合はマスクをつけましょうというのは納得して自分も実践しているので特に文句があるわけではない。

ただ、今後社会がどのように変化するのか、その一端にこの生活様式の変遷が関わっているんだろうなと思って、その考えを雑文として残しておこうと思ったのだ。それだけの話。

 

 

 

 

 

 

 お題「#この1年の変化」