太陽の下で笑う。

うまいものはうまい。

「やりたいことをやる」という価値観の終焉。

ここ最近ぼんやりと考えていたようなことや、なんとなく感じていたようなことを、起業家の「けんすう」さんが見事に言語化されていて驚いた。

 

 

上記からツリー形式でご覧いただきたいのだが、要約するとこんな感じ。

 

①人類の歴史上、身分や生まれで人生がほぼ決まる時代が長かった
②それがここ数十年くらいでいきなり、「自分がやりたいことをやる」という価値観に変化してきている
③結果的に「やりたいことがわからない」という人が大量に出てきている
④やりたいことを見つけて自己実現できる人と、そうでない人の格差はどんどんと拡大している
⑤資本主義における格差の拡大と同じく、能力主義も格差が生まれやすく、一度成功したユーザーほど有利な仕組みになりやすい
⑥「人はやりたいことが誰にもある」「その夢を叶えたほうがいい、夢は叶う」みたいな自己の幸福の追求の流れは今後弱まっていくのではないか
⑦そうすると、今後は「”公”にどう貢献するのか」みたいな思想が社会の中心になるのでは?
⑧今後、「個人のやりがいを追求するのって自分勝手だよね」「自分にしか興味ないんだね」とか言われるような世界になっていくのかもしれない

 

ぼくは、1年ちょっと前に以下のような文章を書いた。

laughunderthesun.hatenablog.com

 

けんすうさんの言うところの①~③は同じである。そこから僕は

④やりたいことを見つけられない人が大量に出ている
⑤だからこそ、これまで環境や出自、宗教で決められていた「大きな物語」ではなく、個人個人の「小さな物語」を持つことが大事ではないか

といった形で考えていた。

 

けんすうさんの考察は、「決められている大きな物語」が機能しなくなり、ひとりひとりが自己実現と成功、成長を求められている世の中で、それが難しいからこそ、社会という大きな物語にいかに良い形で参加していくかという流れに変化していくということだろう。なるほど。面白い。

 

ぼくは学生の就職に関する仕事を10年近く続けているのだが、確かに、「起業!成長!年収1000万!」というようなアグレッシブな志向の学生と比べて、特段やりたいことがは無いが、なんとなく社会貢献、他者貢献を志向しているような学生が増えてきているような実感がある。

 

今の20代前半は2000年前後の生まれであり、触れ合ってきた大人たちも1970~1980年代の生まれ(バブル崩壊後に社会人になった世代)が中心なので、目標を見つけて自己実現していった人たちよりも、そうではない多くの人たちに囲まれて育ってきている傾向が強いはずだ。やりがい、成功、成長といった不確実で難易度の高いチャレンジに違和感を感じているのはなんとなく理解できる。

 

そういった若者たちが、社会貢献という形で社会との接点を求めてきているというのは、夢は無いかもしれないが、悪くない変化なんじゃないかと思う。

今後人口が減っていく日本においては、より成長を求めてチャレンジしていくほうが資本主義社会としては良いのかもしれないが、その志向で30年くらいやって上手くいっていないのだ。そういった世の中で、無気力に諦観してしまうよりは、少しでも社会に良い形で接続していきたいというほうが希望があるではないか。

 

世界というのはそう簡単に変わらないが、古い価値観や考え方の世代が退場していき、世代交代が進むことで一気に変化していくそうだ。

 

ぼくは現在30代後半で若者とは言えないが、なんとなくこの考えの変化は共感できている。ベンチャー、起業、成長、成功といった価値観で社会人になったが、そこから15年くらい働いている中で、その価値観ってちょっと違うかもな、と感じている。自分だけの成長、成功ではなく、自分の持ち場で価値を発揮しつつ、自分の身の回りに良い影響を与えていけると良いなと思っている。

 

仮に僕のような考えがある種の傾向として世代的にあてはまるとすると、今の10代~30代が中心の世の中になると、日本全体の価値観も大きく変わるのかもしれないな。なんとなくそう考えている。