前回のつづき。
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7月の下旬に、九州の実家のピアノを搬出し、神奈川にあるピアノ屋の工房まで運んでもらう。
8月半ばにピアノ屋の店長より電話をもらう。届いたピアノをチェックしたところ、しばらく調律していなかったことと、湿気などで劣化している部品も多いようで、修理+整備が必要な状態らしい。ただ、ちゃんと整備すればまだまだ使っていける状態だということで、店長のおすすめのままに修正と整備をお願いする。
また、マンションで弾くので、サイレントピアノの機械も取り付けてもらうことにした。
無事に修理と整備が終わり、9月12日に我が家に到着。
40年以上前の楽器とは思えないくらいピカピカだ。外装だけでなく、内部の消耗品などもちゃんと交換、メンテナンスされて、金属部品を磨いたりなど手間暇かけて整備していただいたらしい。ありがとうございます。
実家のリビングに鎮座していたピアノ。僕が小さいころは、たまに母親が鍵盤を開き、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」をポロンポロンと弾いていたのを覚えている。ただ、そのうちほとんど弾かれなくなり、ここ20年くらいは電話やルーターなどと、父親の帽子置き場となっていた。
それがピカピカに整備されて僕のマンションに来たというのはなんとも不思議な感じだ。
娘は保育園から帰ると、走ってピアノの部屋にいき、飛び跳ねて喜んでいたらしい。それから早速、毎日ピアノの練習を続けている。
娘の通っているピアノ教室では、生徒をいくつかのチームに分けて、レッスンの進捗によってシールを貼って競争させるということをやっていた。
娘はがぜんやる気になり、次のレッスンではシールを10個もらう!と意気込んで毎日熱心に練習していた。そして、他の子が1回あたり3~4個のところ、本当に10個を獲得して先生や僕らを驚かせていた。
団体戦では負けてしまったのだが、個人では30人くらいいる生徒の中で一番になったらしい。わが娘ながら凄いな。
日に日にピアノも上達しており、右手と左手を器用につかってポロンポロンとメロディを弾けるようになってきた。これまでは楽譜が読めずピアノが弾けないパパでもなんとか練習の相手はできていたのだが、だんだんと僕では力不足になってきた。
娘に負けないように、僕もこっそりと深夜に練習しよう。
我が家にピアノがやってきて、娘の成長に驚かされる日々。